いんじょうかじょう 因浄果浄 因が清浄であれば果も清浄であること。 衆生往生の因果をいう。 衆生が浄土へ往生する因である行信も、 往生成仏の証果も、 すべて阿弥陀仏の清浄願心より回向されるから、 衆生往生の因も果も清浄といわれること。 「証巻」 には 「もしは因、 もしは果、 一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまへるにあらざることあることなし。 因浄なるがゆゑに果また浄なり」 とある。