十九0560、 禅勝房にしめす御詞
▲禅勝房にしめす御詞 第十九
阿弥陀仏は、 一念となふるに一度の往生にあてがひておこし給へる本願也。 かるがゆへに十念は十度むまるゝ功徳也。 一向専修の念仏者になる日よりして、 臨終の時にいたるまで申たる一期の念仏をとりあつめて、 一度の往生はかならずする事也。
又云、 念仏申す機は、 むまれつきのまゝにて申す也。 さきの世のしわざによりて、 今生の身をばうけたる事なれば、 この世にてはえなをしあらためぬ事也。 たとへば女人の男子にならばやとおおへども、 今生のうちには男子にならざるがごとし。 智者は智者にて申し、 愚者は愚者にて申し、 慈悲者は慈悲ありて申し、 邪見者は邪見ながら申す、 一切の人みなかくのごとし。 さればこそ阿弥陀ほとけは十方衆生とて、 ひろく願をばおこしてましませ。
又云、 一念・十念にて往生すといへばとて、 念仏を疎相に申せば、 信力が行をさまたぐる也。 「念念不捨」 (散善義) といへばとて、 一念・十念を不定におもへば、 行が信をさまたぐる也。 かるがゆへに信をば一念にむまるととり、 行をば一形はげむ0561べし。
又云、 一念を不定におもふものは、 念念の念仏ごとに不信の念仏になる也。 そのゆへは、 阿弥陀仏は一念に一度の往生をあておき給へる願なれば、 念念ごとに往生の業となる也。▽