0011◎黒谷上人御法語
◎道俗等おもふべし、 我身にはかしこき事は一もなし。 仏の願によらずは、 かゝるあさましきものゝ往生の大事をとぐべしやと思て、 阿弥陀仏の悲願をあふぎ、 他力をたのみて名号を憚なく唱べき也。 是を本願を憑とはいふなり。 すべて仏たすけ給へと思て、 名号をとなふるに過たる事はなき也。 此外によしと思も憍慢の心なり。
凡、 仏をたのむといふは、 心のなかの観念にもあらず、 たゞ名号をとなふるを、 すなはち本願◗憑とは云也。 念仏の行者、 観念にとゞまる事なかれ、 思はゞやがて声をいだしてとなふべきなり。
称名の外には決定往生の正因なし。 称名の外には決定往生の正行なし。 称名の外には決定往生の正業なし。 称名の外には決定往生の観念なし。 称名の外には決定往生の智恵なし。 称名の外には三心なし。 称名の外には決定往生の四修なし。 五念も称名の外にはなし。 仏の本願も称名を本願とす。 厭離穢土の心も称名のなかにあり。 法蔵菩薩の昔の他力本願の故に、 弥陀如来の自在神力と信じ奉るべし。
若是よりおくふかき事を存候はゞ、 今生には日本0012国六十余州の神罰を蒙り、 来世には弥陀の四十八願にもれ候て、 無間地獄におつべし。
底本は京都府金戒光明寺蔵伝源空聖人自筆本。 ただし訓(ルビ)は有国によるˆ表記は現代仮名遣いにしたˇ。