七(943)、聖人御事諸人夢記
▲一 聖人◗御事、 あまた人々夢にみたてまつりける事。
中宮◗大進兼高と申人、 ゆめにみたてまつるやう、 或人もてのほかにおほきなるさうしをみるを、 いかなるふみぞとたちよりてみれば、 よろづの人の臨終をしるせる文なり。 聖人の事やあるとみるに、 おくに入て、 「光明遍照、 十方世界、 念仏衆生、 摂取不捨」 (観経) とかきて、 この聖人は、 この文を誦して往生すべきなりとしるせりとみて、 ゆめさめぬ。 この事、 聖人も御弟子どももしらずしてすぐすところに、 この聖人さまざまの不思議を現じたまふとき、 やまひにしづみて、 よろづ前後もしらずといゑども、 聖人この文を三遍誦したまひけり。 かの人のむかしのゆめにおもひあわするに、 これ不思議といふべし。 かの人ふみをもちて、 かのゆめの事をつげ申たりけるを、 御弟子ども、 のちにひらきみ侍けり。 件の文、 ことながきゆへに、 これにはかきいれず。
一0944 四条京極にすみ侍ける薄師、 字太郎まさいゑと申すもの、 ことしの正月十五日の夜、 ゆめにみるやう、 東山大谷の聖人の御房の御堂の上より、 むらさき雲たちのぼりて侍。 ある人のいふやう、 あのくもおがみたまへ、 これは往生の人のくもなりといふに、 よろづの人々あつまりておがむとおもひて、 ゆめさめぬ。 あくる日、 そらはれて、 みのときばかりにかの堂の上にあたりて、 そらの中に五色のくもあり。 よろづの人々、 ところどころにしてこれをみけり。
一 三条小川に、 陪従信賢が後家の尼のもとに、 おさなき女子あり。 まことに信心ありて、 念仏をまふし侍けり。 同廿四日の夜、 ことにこゝろをすまして高声に念仏しけるに、 乗願房と申ひじり、 あからさまにたちやどりてこれをきゝけり。 夜あけてかの小女、 この乗願房にかたりていはく、 法然聖人は、 けう廿五日にかならず往生したまふべきなりと申ければ、 この人申さく、 なに事にてかやうにはしりたまへるぞとたづぬるに、 この小女申やう、 こよひのゆめに、 聖人の御もとにまいりて侍つれは、 聖人のおほせられつるやう、 われはあす往生すべきなり、 もしこよひなむぢきたらざらましかば、 われをばみざらまし、 よくきたれりとのたまひつるなりと申けり。 しかるにわがみにとりては、 いさゝかいたみおも0945ふ事侍り。 そのゆへは、 われいかにしてか往生し侍べきと、 とひたてまつりしかば、 聖人おしへたまふ事ありき。 わがみにとりてたえがたく、 かないがたき事どもありき。 そのゆへは、 まづ出家して、 ながく世間の事をすてゝ、 しづかなるところにて、 一向に後世のつとめをいたすべきよしなりと侍き。 しかるにけふのむまの時に聖人往生したまふべき事、 このゆめにすでにかなへりと申し侍けり。
一 白河に准后の宮の御辺に侍ける三河と申す女房のゆめにみるやう、 同廿四日の夜、 聖人の御もとにまいりておがみければ、 四壁に錦◗帳をひけり。 色さまざまにあざやかにして、 ひかりある上にけぶりたちみてり。 よくよくこれをみれば、 けぶりにはあらず。 紫雲といふなるものはこれをいふか、 いまだみざるものをみつるかなどおもひて、 不思議のおもひをなすところに、 聖人往生したまへるかとおぼえて、 ゆめさめぬ。 夜あけてあしたに、 僧順西といふものにこの事どもをかたりてのち、 けふのむまの時に聖人往生したまひぬときゝけり。
一 かまくらのものにて、 来阿弥陀仏と申あまの、 信心ことにふかくて、 仁和寺にすみける。 同廿四日の夜、 ゆめにみるやう、 よにたうときひじりきたれり。 そのかたち、 ゑざうの善導の御すがたににたりけり。 それを善導かとおもふほどに0946、 つげてのたまふやう、 法然聖人はあす往生したまふべし、 はやくゆきておがみたてまつれとのたまふとみて、 ゆめさめぬ。 かのあま、 やがておきゐで、 あか月くゐものなどいとなみて、 わりごといふものもたせて、 いそぎいそぎいでたちて、 聖人の御もとへまいるところに、 下人どもおのおの申やう、 けうはさしたる大事侍、 これをうちすてゝいづかたへありきたもふぞ。 はやくけうはとまりたまふべしといひけれども、 かゝるゆめをみつれば、 かの聖人の往生をおがみにまいらむとて、 よろづをふりすてゝいそぐなり。 さらにとゞまるべからずといひて、 仁和寺よりほのぼのにいでゝ、 東山大谷の房にまいりてみたてまつれば、 げにもその日のむまの時に往生したまへり。 このゆめは、 聖人いまだ往生のさきにきゝおよべる人々、 あまた侍けり。 さらにうたがひなきことなり。 返がへすこの事ふしぎの事なり。 おほよそ廿五日に、 聖人の往生をおがみたてまつらむとてまいりあつまりたる人、 さかりなる市のごとく侍けり。 その中にある人のいふやう、 廿三日の夜のゆめにみるやう、 聖人きたりて、 われは廿五日のむまの時に往生すべきなりとのたまふとおもひて、 ゆめさめぬ。 このことのまことをあきらめむとて、 まいりたるよし申けり。 これならず、 あるいはきのふの夜、 このつげあ0947りといふものもあり。 あつまりたる人々の中に、 かやうのことどもいふ人おほく待。 くわしくしるし申侍らず。
一 東山の一切経の谷に、 大進と申僧の弟子に、 歳十六なる児の 袈裟 といふゆめに、 同廿五日の夜みるやう、 西東へすぐにとおりたるおほぢあり、 いさごをちらして、 むしろをみちの中にしけり。 左右にものみる人とおぼしくて、 おほくあつまれり。 ゆゝしきことのあらむずるぞとおぼえて、 それもともにみ侍らむとて、 みちのかたわらにたちよりて侍ほどに、 天童二人たまのはたをさして西へゆきたまへり。 そのうしろにまた法服きたる僧ども千万人あつまりゆきて、 左の手に香呂をもち、 右のてにはけさのはしをとりて、 おなじく西へゆくを、 ゆめの中にとふやう、 これはいかなる人のおはしますぞといふに、 ある人こたへていふやう、 これは往生の聖人のおはしますなりといふを、 またとふやう、 聖人とはたれ人ぞととへば、 これはおほたにの聖人なりとみて、 ゆめさめぬ。 この児そのあか月、 師の僧にかたり侍けり。 この児、 聖人の事おもしらず、 また往生のよしおもきゝおよばざりけるに、 そらにこのつげありけり。
一 建暦二年二月十三日の夜、 故惟方の別当入道の孫、 ゆめにみるやう、 聖人を0948葬送したてまつるをおがみければ、 聖人清水のたうの中にいれたてまつるとみて、 のちまた二日ばかりすぎて、 ゆめにみるやう、 となりの房の人きたりていふやう、 聖人の葬送にまいりあはぬことのゐこむに候へども、 おなじことなり、 はかどころへまいりたまへと申に、 よろこびてかのはかどころへあひ共してまいりぬとおもふほどに、 八幡の宮とおぼしき社の、 みとあくるところをみれば、 御聖体おはします。 その時はかどころへまいるに、 八幡の御聖体とはなにおか申すべきといふに、 かのとなりの人いふやう、 この聖人の御房こそは御聖体よといふあひだ、 身の毛いよだちて、 あせたりて、 ゆめさめぬ。
一 同正月廿五日辰◗時に、 念阿弥陀仏と申すあまの、 ゆめうつゝともなくてみるやう、 はるかにうしとらのかたをみやれば、 聖人すみぞめのころもをきて、 そらにゐたまへり。 そのかたはらにすこしさがりてしらさうぞくして、 唐人のごとくなる人ゐたり。 おほたににあたりて、 聖人と俗人と、 南にむかひてゐたまへるほどに、 俗のいふやう、 この聖人は通事にておはすといふとおもふほどに、 ゆめさめぬ。
一 同廿三日卯◗時に、 念阿弥陀仏、 またゆめに、 そらはれて西のかたをみれば、 し0949ろき光あり。 あふぎのごとくして、 すゑひろくもとせばくして、 やうやくおほきになりて虚空にみてり。 光の中に、 わらだばかりなる紫雲あり。 光ある雲とおなじく東山の大谷のかたにあたりて、 参たる人々あまたこれをおがみけり。 いかなる光ぞととふに、 ある人のいふやう、 法然聖人の往生したまふよと申によりて、 おがみたてまつれば、 人々の中に、 よにかうばしきかなといふ人もありとおもふて、 これを信仰しておがむとおもへば、 ゆめさめぬ。
一 聖人往生したまへる大谷の坊の東の岸の上に、 たいらかなるところあり。 その地を、 建暦二年十二月のころ、 かの地主、 聖人にまいらせたりければ、 その地を墓所とさだめて葬送したてまつり侍けり。 その地のきたに、 また人の坊あり。 それにやどりゐたるあまの、 先年のころゆめにみるやう、 かのはかどころの地を、 天童ありて行道したまふとみ侍けり。 また同房主、 去年コゾトイフ十一月十五日の夜のゆめにみるやう、 この南の地のはかどころに、 青蓮華おいて開敷せり。 そのはなかぜにふかれて、 すこしづゝこの房へちりかゝるとみて、 ゆめさめぬ。 またおなじ房に女の侍けるも、 去年の十二月のころみるやう、 南の地にいろいろさまざまの蓮華さきひらけてありとみおはりてのち、 ことしの正月十日、 かの地を墓0950所とさだめて、 穴をほりまうくるとき、 この房主はじめておどろきていふやう、 ひごろのゆめどもの三度までありしが、 たゞいまおもひあはするに、 あひたるよといひて、 ふしぎがりけり。
一 建暦元年のころ、 聖人つのくにの勝尾といふところにおはしける時、 祇陀林寺の一和尚にて侍ける西成坊といふ僧の、 ゆめにみるやう、 祇陀林寺の東の山にあたりて金色の光をさしたりけるを、 あまた人これをみて、 あやしみとひたづねければ、 そばなる人のいふやう、 これこそ法然聖人の往生したまふよといふとおもふほどに、 ゆめさめぬ。 そのゝち聖人、 勝尾より大谷にうつりゐたまふて往生したまひぬときゝて、 この僧、 人々にかゝりしゆめをこそみたりしかと申けり。
一 華山◗院の前◗右大臣の家の侍に、 江内といふものゝしたしき女房、 三日があひだ、 うちつゞき三度までゆめにみるやう、 まづ正月廿三日の夜のゆめに、 西山より東山にいたるまで、 五色の雲の一町ばかりになおくたなびきて侍けり。 大谷の聖人の御房にまいりておがみたてまつりければ、 すみぞめのころも・けさをきたまへるが、 袈裟のおほはむすびたれて、 如法経のけさのおのやうにて、 請0951用かとおぼえて、 聖人いでたちたまふとみて、 ゆめさめぬ。 また同廿四日の夜みるやう、 昨日の夜、 五色の雲すこしもちらずして、 おほいかだのやうにおほまわりにまわりて、 東がしらなるくも、 西がしらになりて、 なほくたなびけり。 聖人もさきのごとくしておはしますとみて、 ゆめさめぬ。 又同廿五日にみるやう、 件の雲、 西へおもむきて、 聖人七条の袈裟をかけて、 臨終の作法のやうにてかのくもにのりて、 とぶがごとくして西へゆきたまひぬとみて、 ゆめさめぬ。 むねさわぎておどろきたるに、 わがくちも、 ころもゝ、 あたりまでも、 よにかうばしく侍ける。 よのつねの香にもにず、 よにめでたくぞ侍ける 。
一 ある人、 二月二日の夜のゆめにみるやう、 聖人往生したまひてのち、 七日にあたりける夜のゆめに、 ある僧きたりていふやう、 聖人の御房は、 往生の伝記に入せたまひたるおば、 しるやいなやととひ侍ければ、 この人いふやう、 たれ人のいかなる伝に入たまへるにかと申侍ければ、 ゆびをもちて、 まへなるふみをさして、 このふみに入せたまふなりとみて、 ゆめさめぬ。 そのゆびにてさしつる文をみれは、 善導の ¬観経の疏¼ なりけり。 これは長楽寺の律師 隆寛、 一昼夜の念仏申ける時のゆめなり。
一0952 先年のころ、 直聖房といふ人、 熊野◗まいり侍けるに、 聖人いさゝかの事によりて、 さぬきへくだりたまふときゝて下向せむとするほどに、 ことにふれて、 はゞかりのみありて、 やまひがちに侍ければ、 この事権現にいのり申侍けるに、 直聖房がゆめにみるやう、 なむぢいづべからず、 臨終のときすでにちかしと侍ければ、 かの僧申すやう、 聖人の事のきわめておぼつかなく候なり。 はやく下向し候て、 子細をうけたまはり候ばやとおもひたまふと申ければ、 権現のしめしたまふやう、 かの聖人は勢至菩薩の化現なり、 なむぢ不審すべからずと。 みおわりてのち、 いくほどをへずしてかの僧往生し侍ける事、 めをおどろかさずといふ事なし。 このありさま、 よの人々みなしれり。
一 天王寺の松殿◗法印御坊 静尊、 高雄寺にこもりゐて、 ひごろ法然聖人といふ人ありとばかりしりて、 いまだ対面におよばず。 しかるに正月廿五日午◗時ばかりに、 ある貴所より ¬阿弥陀経¼ をあつらえて、 かゝせらるゝ事ありて、 出文机にて書写のあひだに、 しばらく脇息によりかゝりて休息するほどに、 ゆめにみるやう、 世間もてのほかに、 諸人のゝしるおとのするにおどろきて、 えむのはしにたちいでゝそらをみあげたれば、 普通ののりぐるまのわほどなる八輻輪の八方のさき0953ごとに雑色の幡をかけたるが、 東より西へとびゆくに、 金色の光ありて四方をてらすに、 すべて余のものみえずして、 金色の光のみ天地にみちみちて、 日光弊覆せられたり。 これをあやしみて、 人にこれをとふとおぼしきに、 かたわらの人つげていはく、 法然聖人往生の相なりといふ。 帰命渇仰のおもひをなすほどに、 ゆめさめぬ。 そのゝち、 しらかわの御めのとのもとより、 同廿七日に御ふみをおくらるゝついでに、 おととひ廿五日のむまの時にこそ、 法然聖人往生せられて候へと申されたる時、 夢想すでに府合して、 いよいよ随喜のおもひをなしおはりぬと云り。
一 丹後◗国しらふの庄に、 別所の一和尚僧ありけり。 昔天臺山の学徒、 遁世之後、 聖人に帰したてまつりて弟子になりけるほどに、 丹後よりのぼりて、 京に五条の坊門、 富小路なる所に住しけり。 或日ひるねしたるゆめに、 空に紫雲そびきたる中に、 尼アマ一人ありて、 うちゑみて云く、 法然聖人の御おしえによりて極楽に往生し候ぬるを、 仁和寺に候つると告ける。 そのゝち夢さめて、 聖人の九条におはしましけるに、 やがてまいりて、 妄想にてや候つらむ、 かゝるゆめをみて候と申ければ、 聖人うちあむじて、 さる人もあるらむとて、 人を仁和寺へつかはさむ0954としけるが、 日もくれければ、 次の朝にかの所へつかはして、 便宜になに事か候とたづぬべきよし、 使におほせられけるに、 件の尼公は昨日の午◗時に往生せられ候ぬと申たりけるを、 聖人まふされていはく、 かの尼公は ¬法華経¼ 千部自読せむと願をおこして候が、 七百部ばかりはよみて候が、 のこりをいかにしてはたしとぐべしともおぼへ候はぬと申候しを、 としよりたる御身に、 めでたくよませたまひて候へども、 のこりおば一向念仏にならせたまへかしとて、 名号の功徳をときゝかせられけるより、 ¬経¼ おばおきて一向専称して、 とし月をへて往生極楽の素懐をとげけるにやとぞ、 おほせありけると。