1433◎憲法十七条
◎*夏四月の丙寅の朔戊辰に、 皇太子 (*聖徳太子)、 みづからはじめて*憲しき法十七条作りき。
(1)
一にいはく、 *和らかなるをもつて貴しとなし、 *忤ふることなきを*宗となす。 人みな*党あり。 また*達れるひと少なし。 ここをもつて*あるいは君・父に順はず、 また*隣里に違へり。 しかれども上和らぎ下睦びて、 *事を論ふに諧ふときは、 すなはち事理おのづからに通ふ。 なにの事かならざらん。
(2)
二にいはく、 篤く三宝を敬ふ。 三宝は仏・法・僧なり。 すなはち*四つの生れの終りの帰、 万の国の極めの宗なり。 いつの世、 いづれの人か、 この*法を貴ばざらん。 人はなはだ悪しきもの鮮なし。 よく教ふるときはこれに従ふ。 それ三宝に*帰りまつらずは、 なにをもつてか*枉れるを直さん。
(3)
三にいはく、 詔を承りてはかならず謹め。 君をばすなはち天とす、 *臣を1434ばすなはち地とす。 天は覆ひ地は載せて、 *四つの時順ひ行はれて、 *万の気、 通ふことを得。 地、 天を覆はんとするときは、 すなはち壊るることを*致さまくのみ。 ここをもつて君のたまふときは臣承る。 上行ふときは下靡く。 故詔を承りてはかならず慎め。 謹まずはおのづからに敗れなん。
(4)
四にいはく、 *群卿・百寮、 *礼びをもつて本とせよ。 それ民を治むるの本、 かならず礼びにあり。 上礼びなきときは下斉ほらず、 下礼びなきときはもつてかならず罪あり。 ここをもつて群臣礼びあるときは位の次乱れず、 *百姓礼びあるときは国家おのづからに治まる。
(5)
五にいはく、 *餮を絶ち欲を棄てて、 あきらかに訴訟を*弁めよ。 それ百姓の訟へ、 一日に千の事あり。 一日すらもなほ爾なり。 いはんや歳を累ねてをや。 このごろ訟へを治むるひとども、 *利を得て常とし、 *賄を見ては*讞すを聴く。 すなはち財あるものの訟へは、 石をもつて水に投ぐるがごとし。 乏しきものの訴へは、 水をもつて石に投ぐるに似たり。 ここをもつて貧しき民はすなはちせんすべを知らず。 臣の道、 またここに闕けぬ。
(6)
六にいはく、 悪しきを懲らし善れを勧むるは、 古の良き*典なり。 ここをもつて1435人の善れを匿すことなかれ。 悪しきを見てはかならず匡せ。 それ*諂ひ詐くものは、 すなはち国家を覆すの*利き器たり、 人民を絶つの*鋒き剣なり。 また*佞み媚ぶるものは、 上に対ひてはすなはち好みて下の過りを説き、 下に逢ひてはすなはち上の失ちを誹謗る。 それこれらのごとき人、 みな*君に忠しさなく、 民に仁みなし。 これ大いなる乱れの本なり。
(7)
七にいはく、 人おのおの*任しあり。 掌ることよく濫れざるべし。 それ賢哲官に任すときは、 *頌むる音すなはち起る。 *奸しきひと官を有つときは、 禍ひ乱れ*すなはち繁し。 世に生れながら知る人少なし。 よく念ふときに*聖となる。 *事、 大いなり少けきことなく、 人を得てかならず治まる。 時、 急き緩きことなく、 賢に遇ふ、 おのづからに寛るかなり。 これによりて国家永久にして、 *社稷危ふからず。 故古の聖の王は、 官のためにもつて人を求めて、 人のために官を求めたまはず。
(8)
八にいはく、 群卿・百寮、 はやく朝りておそく退づ。 公の事*盬なし。 終日に尽しがたし。 ここをもつておそく朝るときは*急やけきに逮ばず、 はやく退づるときはかならず事尽きず。
(9)
1436九にいはく、 信はこれ義の本なり。 事ごとに信あるべし。 それ善さ悪しき、 成り敗らぬこと、 かならず信にあり。 群臣ともに信あらば、 なにの事かならざらん。 群臣信なくは、 万の事ことごとくに敗れなん。
(10)
十にいはく、 *忿を絶ち瞋を棄てて、 人の違ふを怒らざれ。 人みな心あり。 心おのおの*執ることあり。 かれ是んずればすなはちわれは非んず、 われ是みすればすなはちかれは非んず。 われかならず聖なるにあらず、 かれかならず愚かなるにあらず。 ともにこれ*凡夫ならくのみ。 是く非しきの*理、 たれかよく定むべき。 あひともに賢く愚かなること、 *鐶の端なきがごとし。 ここをもつてかれの人瞋るといへども、 還りてわが失ちを恐れよ。 われ独り得たりといへども、 衆に従ひて同じく挙へ。
(11)
十一にいはく、 あきらかに功み・過りを察て、 *賞し罰ふることかならず当てよ。 日ごろ、 *賞すれば功みに在いてせず、 罰へば罪に在いてせず。 事を執れる群卿、 よく賞・罰へをあきらかにすべし。
(12)
十二にいはく、 *国司、 *国造、 *百姓に斂らざれ。 国にふたりの君あらず、 民にふたつの主なし。 *率土の*兆民は、 王をもつて主とす。 所任せる官1437司は、 みなこれ王の臣なり。 いかにぞあへて*公と、 百姓に賦斂らん。
(13)
十三にいはく、 もろもろの官者に任せるは、 同じく職掌を知れ。 あるいは病し、 あるいは使ひありきとて事に闕ることあり。 しかれども知ること得んの日には、 *和ふこと曽より識るがごとくにせよ。 それあづかり聞くことなしといふをもつて、 公の務を*な防ぎそ。
(14)
十四にいはく、 群臣・百寮、 嫉み妬むことあることなかれ。 われすでに人を嫉むときは、 人またわれを嫉む。 嫉み妬む患へ、 その極まりを知らず。 このゆゑに智おのれに勝るときはすなはち*悦びず、 才おのれに優れるときはすなはち嫉妬む。 ここをもつて五百にて後*いまし今賢に遇ふとも、 *千載にてももつてひとりの聖を待つこと難し。 それ賢・聖を得ずは、 なにをもつてか国を治めん。
(15)
十五にいはく、 *私を背きて公に向くは、 これ臣の道なり。 すべて人私あるときはかならず恨みあり。 憾みあるときはかならず同ほらず。 同ほらざるときはすなはち私をもつても公を妨ぐ。 憾み起るときは、 すなはち制に違ひ法を害る。 故初めの章にいはく、 上下和ひ諧ほれといへるは、 それまたこの情なる1438かな。
(16)
十六にいはく、 民を使ふに時をもつてするは、 古の良き典なり。 故に冬の月に間あり、 もつて民を使ふべし。 春より秋に至るまでにて*農桑の節なり、 民を使ふべからず。 それ農せずはなにをか食らはん、 桑らずはなにをか服ん。
(17)
十七にいはく、 それ事、 独り断むべからず。 かならず衆とよく論ふべし。 少けき事はこれ軽しく、 かならずしも衆とすべからず。 ただ大いなる事を論ふに逮んでは、 *もしは失りあること疑はしきときあり。 故に衆とあひ弁ふるときは*辞すなはち理を得。
底本は東洋文庫蔵岩崎本。
夏四月の丙寅の朔戊辰 ¬日本書紀¼ 推古天皇十二年 (604) の条にみられる。 ただし、 ¬上宮聖徳法王帝説¼ は同十三年七月、 ¬一心戒文¼ は同十年十二月と伝える。
憲しき法 「いつくしき」 は厳然としているの意。 なお、 古代では法と道徳とは峻別されていなかった。
和らかなる 「和らぐ」 とも読む。 うちとけて相互になごみあうこと。
忤ふること 背き逆らうこと。
宗 大事な事。
党 自分の仲間。
達れるひと ものごとの道理をわきまえた者。
あるいは ある者は。
隣里 隣り近所。
事を論ふに諧ふときは (執われの心を離れて) 話し合うことができるなら。
法 仏法。
帰りまつらずは 依り申し上げなかったなら。
枉れるを 我執にとらわれたよこしまな心を。
臣 天皇に仕える人たち。
四つの時 春夏秋冬の四季。
万の気 すべての生物の生気。
致さまくのみ 必ずまねくであろう。
群卿百寮 朝廷に仕える官僚の総称。
礼び うやまい。 礼儀。
百姓 民。 人民。
餮 食を貪ること。
弁めよ 判定せよ。 解決せよ。
利を得て常とし 私利私欲を図ることがあたり前になって。
賄 賄賂。
讞すを聴く 訴えを裁決する。
典 常に依るべき範、 手本。
諂ひ詐くもの 心にもないお上手をいって、 他人をだまし、 うそをつく者。
利き器 鋭利な武器。
鋒き 先の鋭い。
佞み媚ぶるもの 誠意がなく、 口先だけでこびへつらう者。
君に 主君に対しては。
任し 任務。
頌むる音 ほめたたえる声。
奸しきひと 邪悪な人。
すなはち たちまちに。
聖 徳のすぐれた人。 最高の人格者。
事大いなり少けきことなく 事の大小にかかわらず。
社稷 「くに] 社は土の神、 稷は穀の神。 ここでは国土人民を指す。
盬なし 間暇がない。 「盬」 を 「もろき」 とする読みもある。
急やけきに逮ばず 急ぎの用事に間に合わない。
忿を絶ち瞋を棄てて いかり (忿怒と瞋恚) の心を離れて。
執ること 我執。 執着。
凡夫ならくのみ 凡夫にすぎないのである。
理 道理。 条理。
鐶 金属製の輪。 耳輪、 指輪、 腕輪など。
賞し罰ふること… 功績には賞し、 過失には罰することを必ず行え。
賞すれば功みに在いてせず 賞は功績に対してなされていない。
国司 天皇の命令を持って地方におもむき、 統治する者。
国造 各国を世襲的に支配しながら朝廷に服従していた地方官。
百姓に斂らざれ 人民から財物や労力などを集め取ってはならない。
率土 地のはてまで全部。 天下。
兆民 億兆の人民。 万民。
公と 政府の仕事として。
和ふ (仕事の上で) 協調する。
な防ぎそ 「防ぐ」 はとどめるの意。 決してとどめてはならない。
悦びず よろこばない。
いまし今 ちょうど今。 たった今。
千載 千年。
私を背きて 私情をはなれて。
農桑 農作業と養蚕。
もしは失りあること… 誤りがあるかどうかわからない場合がある。
辞 言葉。 事柄。