1377◎自1107力他力事
長楽寺*隆寛律師作
【1】 ◎念仏の行につきて自力・他力といふことあり。 これは極楽をねがひて弥陀の名号をとなふる人のなかに、 自力のこころにて念仏する人あり。
【2】 まづ自力のこころといふは、 身にもわろきことをばせじ、 口にもわろきことをばいはじ、 心にも*ひがごとをばおもはじと、 かやうにつつしみて念仏するものは、 この念仏のちからにて、 よろづの罪を除き失ひて、 極楽へかならずまゐるぞとおもひたる人をば、 自力の行といふなり。
かやうにわが身をつつしみととのへて、 よからんとおもふは*めでたけれども、 まづ世の人をみるに、 いかにもいかにもおもふさまにつつしみえんことは、 *きはめてありがたきことなり。 そのうへに弥陀の本願を*つやつやとしらざるとがのあるなり。 されば*いみじくしえて往生する人も、 まさしき本願の極楽にはまゐらず、 わづかにその*ほとりへまゐりて、 そのところにて本願にそむきたる罪をつぐのひてのちに、 1378まさしき極楽には生ずるなり。 これを自力の念仏とは申すなり。
【3】 他力の念仏とは、 わが身のおろかにわろきにつけても、 1108かかる身にてたやすくこの娑婆世界をいかがはなるべき。 罪は日々に*そへてかさなり、 妄念はつねにおこりてとどまらず。
かかるにつけては、 ひとへに弥陀のちかひをたのみ仰ぎて念仏おこたらざれば、 阿弥陀仏かたじけなく*遍照の光明をはなちて、 この身を照らしまもらせたまへば、 観音・勢至等の無量の聖衆*ひき具して、 行住坐臥、 もしは昼もしは夜、 一切のときところをきらはず、 行者を護念して、 目しばらくもすてたまはず、 まさしくいのち尽き息たえんときには、 よろづの罪をばみなうち消して、 めでたきものにつくりなして、 極楽へ率てかへらせおはしますなり。
されば罪の消ゆることも南無阿弥陀仏の願力なり、 めでたき位をうることも南無阿弥陀仏の弘誓のちからなり、 ながくとほく三界を出でんことも阿弥陀仏の本願のちからなり、 極楽へまゐりてのりをききさとりをひらき、 *やがて仏にならんずることも阿弥陀仏の御ちからなりければ、 ひとあゆみもわがちからにて極楽へまゐることなしとおもひて、 *余行をまじへずして一向に念仏するを他力の行とは申すなり。
【13794】 たとへば腰折れ足なえて、 わがちからにてたちあがるべき方もなし、 ましてはるかならんところへゆくことは、 *かけてもおもひよらぬことなれども、 *たのみたる人のいとほしとおもひて、 *さりぬ1109べき人あまた具して、 *力者に輿をかかせて迎へに来りて、 やはらかにかき乗せてかへらんずる十里・二十里の道もやすく、 野をも山をもほどなくすぐるやうに、 われらが極楽へまゐらんとおもひたちたるは、 罪ふかく煩悩もあつければ、 腰折れ足なえたる人々にもすぐれたり。
ただいまにても死するものならば、 *あしたゆふべにつくりたる罪のおもければ、 頭をさかさまにして、 三悪道にこそはおちいらんずるものにてあれども、 ひとすぢに阿弥陀仏のちかひを仰ぎて、 念仏して疑ふこころだにもなければ、 かならずかならずただいま*ひきいらんずるとき、 阿弥陀仏、 目のまへにあらはれて、 罪といふ罪をばすこしものこることなく功徳と転じかへなして、 無漏無生の報仏報土へ率てかへらせおはしますといふことを、 釈迦如来ねんごろにすすめおはしましたることをふかくたのみて、 *二心なく念仏するをば他力の行者と申すなり。
かかるひとは、 十人は十人ながら百人は百人ながら、 往生することにて候ふなり。 かかる人を*やがて一向専修の念仏者とは申すなり1380。 おなじく念仏をしながら、 ひとへに自力をたのみたるは、 ゆゆしきひがごとにて候ふなり。
*あなかしこ、 あなかしこ。
*寛元四歳丙午三月十五日これを書く。
1110愚禿釈*親鸞七十四歳
底本は大谷大学蔵江戸中期恵空書写本。
ひがごと 間違い。 誤り。 ここでは意業の悪事。
めでたけれども 結構なことではあるけれども。
きはめてありがたきこと めったにないこと。
つやつや 少しも。 全く。
いみじく 大変立派に。
ほとり 端・辺境の意。 ここでは極楽浄土の
辺地のこと。
そへて 加えて。
ひき具して 伴って。
たのみたる人の 信頼している人が。 たよりに思う人が。
さりぬべき人 相当な人。 立派な人。
ひきいらんずるとき 息が絶えようとする時。
二心なく 一心に。 疑いなく。