◎▽蓮如上人御若年砌事
▽順如上人願成就院殿事 並 応仁乱
▽加賀一乱 並 安芸法眼事
条々
△蓮如上人御若年砌事
▼蓮如上人は御若年の折は 御方様と申候 御継母の儀によりて、 殊外に御迷惑の御事にて侍し。 存如上人は、 御内衆も唯五人召つかはれ候。 蓮如上人、 御方様と申たる時は、 一人も召つかはるべきやうもなくて、 存如上人の御小者に竹若と申者を、 一年に五十疋とらすべし、 つかはれよと、 御約束さふらひて、 時々召つかひさふらひつるが、 三十疋ども下され候事成兼申、 漸々十疋・二十疋づゝ下されけると申候ふ。 此竹若、 心得の者にてさふらひき。
一 ▼めし物も然々と侍らで、 御布子、 又は紙子をめされさふらひき。 粉含をめされさふらひて、 白き物の分にてさふらひし。 白御小袖に是をめされさふらふ。 又其後は、 白御小袖ひとつ御座さふらひつれども、 しけ絹にて御座さふらひき。 紙にて裏をさせられ、 御袖口ばかりを絹にて少しさせられて、 めされさふらひき。 此の比ろは、 誰か加様にさふらふべきや、 我人過分のしたてに成り申す事、 御用の程、 有難き事にてさふらふは、 如何如何。
一0636 ▼きこしめし物も、 散々の御仕立にてさふらひしとなり。 供御の御汁は、 御一人の分あなたよりまひらせられさふらふを、 水を入れてのべさせられ、 御三人みなみなきこしめしたると申候。
一 ▼御子達はみなみな里へ養ひに、 あなたこなたへ有付けまひらせられ候ふ。 順如ばかり御
一 ▼近江の金森の道西と申せし人は、 後には従善と申し候。 此人細々大谷殿へまひられ、 仏法者にてさふらひつるが、 有時、 存如上人の御前に此従善伺公せられ侍る時、 蓮如上人御招きさふらひて召寄られ、 御物語どもさふらひつる。 従善有難く存ぜられ、 常に金森へ御方様を申入られ聴聞さふらひつるに、 在所の人々も驚かれ、 仏法も此時よりいよいよ弘まり申さふらひき。
-其時
-▼龍玄、 物語さふらひつるは、 其比は御膳などは、 一日に一度まひりさふらふ時もさふらふ。 又一向にきこしめすやうもなくて、 まひらぬ事もさふらひつる。 龍玄、 京へ出て、 油などは料簡さふらふ。 又なき時は、 黒木を御焼さふらふて、 聖教などを御覧ぜられ候。 又月夜の比は、 月の光りにて御覧ぜられけるとさふらひつる。
-¬教行信証¼ 又は ¬六要抄¼ 等、 常に御覧ぜられ、 又 ¬安心決定抄¼ は、 三部まで御覧じやぶらせら0637れたる事候やうに、 聖教等御覧ぜられ、 存如上人へも法流の一儀、 慇に尋まひらせられけると見へ申しける。 御相承の儀あきらかに御座さふらひつると見へ申しさふらひき。
-存如上人御往生以後、
-其後、 遠国へ御修行なされさふらふ。 越前の吉
一 ▼仏法弘まり候に付て、 山門より一乱出来て、 大谷殿はやぶれ、 江州金森へ御下向の事さふらふ。 其後、 山門衆、 又聞分られ、 十六谷衆、 以連判被申事さふらふて、 則大谷殿へ御還住さふらひし。 其時大津に御座さふらひて、 山科へ御移さふらふ時、 本寺山科へ御移さふらはゞ、 大津の在所もおとらふべきとて、 山科へは遣申間敷とて、 三井寺大津寺家の衆さゝへ申されさふらふによりて、 大津も本寺と等事たるべき由にて、 開山聖人の等身の御影をかゝせられ、 すゑ申されさふらひて、 山科へ御移にて候。
一0638 ▼蓮如上人は十五歳より、 是非ともに開山聖人の御法流の儀、 可↠被↢仰立↡と思食たゝれ、 既に御存分の如く、 六十余州に御門流ひろまりたる事を御満足の由、 蓮如上人御自語ありての御ことばに、 今各々心易く仏法を聴聞する事も、 此法師がわざよと
一 ▼蓮如上人、 山科にて南殿へ御隠居の時、 御内の仁五人也。 是存如上人の御時の例也。 昔の御迷惑に御座ありつる事を、 御忘れ有間敷との被仰事にてさふらふ。 然ば円如も雑造にも唯五人被↢召遣↡候。 先例にて候。
一 ▼蓮如上人、 古関東御修行の時、 御
一 ▼蓮如上人御病中に、 御口のうちを御煩ひさふらひつる事候て、 あゝと被仰事さふらひつる程に、 御口のうちの煩ひに、 加様に御座さふらふかと存さふらへば、 被仰さふらひしは、 各信のなき事を思へば、 身をきりさくやうに悲しきよと、
▼右此一巻は、 山科殿にて写申たる書にてさふらふ也。 但誰人の書とも覚へ不↠申候。 光応寺蓮淳にてさふらふ歟と存じさふらふ。 慥かなる事は覚へ不↠申候。 努0639々不↠可↠有↢外見↡者也。 実悟
此一巻は、 如此調さふらひて、 大坂殿の大蔵御局へ進じたる事也。 龍玄に被↠尋さふらひて、 蓮淳の書と見へ申候
*天正三年八月四日
△願成就院殿之事
▼応仁の乱と申は、 将軍慈照院殿 号東山殿義政 と今出川殿との御取合、 諸大名悉く二に分れて、 天下の大乱也。 京中
-其比、 願成就院殿 順如光助法印依勅号上人 東山殿へ細々御まいりの事にてさふらふ。
-或時、 慈照院殿、 御内衆へ仰せらるゝ事には、 今の本願寺は身つきうつくしき仁なりと人々申し、 見度事なりと被仰さふらふを、 大館を始として奉公衆二、 三人被↠申事には、 参上の時御酒の上に裸になして、 御覧ずべき由を、 各申されさふらふに、 いやいや何かと御所には被↠仰侍しと也。
-然而御陣中を見舞可被申とて、 願成就院殿、 十合・十荷被持御参りさふらひし時、 将軍東山殿御対面ありて、 則御酒宴に成たる時、 連々奉公衆被申候様に、 大館治部少補を始として二、 三人、 御傍へよりて被申さふらふ様は、 裸舞が可↠然とて、 裸に成被申候。 願成就院殿、 御迷惑さふらひしかども、 是非なく裸に取成し申さふらひて、 春日龍神のきりを謡ひ出して、 まはせ被↠申候。
-其時の事、 伊勢の下総入道 宗五、 物語さふらひしは、 此事、 将軍の御前にて各被申入候事を、 其時未伊勢次郎と云 聞申さふらふ間、 知0640音と云、 縁者の事と申、 加養の段、 願成就院殿へ告知らせ申し度所存候ひつれども、 次でもなくさふらひて、 不申さふらふ処に、 御前にて既に如此各働さふらふ間、 若はだの帯など見苦敷事候てはと存さふらひつれば、 如何にも新きはだの帯御沙汰さふらひつれば、 安堵したると、 下総入道、 愚老にかたられけり。
-願成就院殿、 天然器用の御機遣の由さふらひしかば、 御はだの帯ばかりにて、 扇御持さふらふて御立さふらはゞ、 如何さふらふべきに、 片膝ばかり御立さふらふて、 帯のとほりを扇にてかくすやうに御舞さふらふて、 やがて御置さふらひつる。 一段見事にて、 奇特の御仕合どもにてさふらふと物語せられさふらふ。
-そのまゝ各どつと御笑候ふて、 前の衆二、 三人よりて、 物をめさせ申されさふらひて、 如元御出立に被成さふらひて、 其後、 東山殿仰せに、 聞及たるよりも、 うつくしき身ぞと仰せられけるとなり。 遍身にくろき所、 針のさきほどもなく、 うつくしき身にて渡らせたまふと、 各とりどりに沙汰候ひつると、 如秀 姉にて候人も、 其
-其後、 願成就院殿、 東山殿より御暇申御帰候て、 同日、 今出川殿へも十合・十荷進上さふらひつるに、 是も御見参さふらふて、 御酒宴に成さふらへば、 御申候は、 東山殿にても裸にて舞申間、 是にても又舞申可申也と、 又我と裸に成さふらひて、
-昔は加様にさふらひて、 本願寺殿御所様へ御まひり候と申さふらへば、 双方衆、
-其
-初は蓮如上人、 御貌を脇へなされ、 あら酒くさや酒くさやと、 仰せられさふらひしかども、 条々御申入ありつる旨、 御物語御申入さふらへば、 それはよきよよきよと被仰さふらひて、 御譏嫌能くて御向ひまひらせられつると、 御座敷の体どもを、 兄弟衆・宿老衆の御物語さふらふを聞申し候ふ。
一 ▼其後、 吉崎殿へ願成就院殿御下向の事さふらひて、 若狭の小浜へ御下向の事さふらひて、 伊勢下総を、 路次の間、 徒然の条、 若狭まで同道すべきと仰さふらひて、 御つれさふらふの由さふらふて、 物語さふらひつるは、 風をまたれ候間に、 武田大膳大夫館へも御出さふらふに、 御供申候きと、 下総入道被↠語さふらふ。 其時も御酒さふらひて、 大御酒に成さふらへば、 両御所の御前にても裸にて舞申間、 是にても裸にて可↠舞とて、 裸にて御舞さふらひつると、 下総も物語さふらふ。 其後、 下総は上洛す。 願成就院殿は、 舟にて越前吉崎へ御下向さふらひつる事也。 *分明五年の比也。
△安芸法眼事 法名蓮崇
一 ▼文明の初比、 越前国吉崎御坊御建立也。 同国のあさふ津の村仁にて候きが、 心さかしき人にてさふらひし間、 安芸の国へも往返し侍仁にて候間、 安芸と人々いゝつけて侍る也。 吉崎殿へ参り、 御堂に常にまひり、 茶所に有て、 一文不通の人たるが、 昼夜隙なく学問手習して、 四十の年より色葉を習ひ、 真物まで書習、 聖0642教等をも令書写、 浄土の法門心にかけ、 才学の人と成て、 吉崎殿御内へ望申、 奉公を一段心に入られしまゝ、 蓮如上人の御意に叶、 玄永丹後は
-去程に、 加州の守護人の富樫助と百姓との取合に成ける。 百姓衆と申は、 御門徒衆・坊主衆也。 仕損じて越中へ退て、 吉崎殿へ忍て、 惣中より使ひを上申候。 此度の軍の様、 百姓中難叶さふらふ間、 調和与无事に可還住扱さふらふ間、 其趣、 吉崎殿へ両使 洲崎藤右衛門入道慶覚 湯湧次良右衛門入道行法 上りさふらひて、 安芸を以て申入処に、 両使申入さふらふ段をば、 一向不被申入、 各別に安芸奏者被申入、 涯分致調法、 加州へ可切入さふらふ間、 各へ被力付候様に、 御意を以て可被仰付候、 涯分可致合戦の由被申入さふらふと、 蓮如上人へ申上事さふらふと被披露。
-蓮如上人誠と思召、 无用と思召さふらへども、 左様に談合調法に於ては、 是非无くさふらふ。 更に御異見に不↠及さふらふ。 如何様とも、 可↠然様に調可被申と仰出されさふらふと、 各別に御意の旨、 両使へ被申付。
-両使は、 今の分は難成さふらふ由申候へども、 如何様とも、 各可↠致↢馳走↡の由、 御意さふらふと、 両使に被申付さふらふ。 両使ささふらふ段の御返事、 心元なく存さふらひつれども、 御意の旨と被申出候間、 是非なくさふらひて、 富樫を可令成敗の由、 御意を直に承度心出来、 何様に直に御目にかゝり度さふらふ由、 両使申し候へば、 无用とさゝへられさふらふ間、 猶心元なし、 何とぞ御目にかゝるべきとの由申さふらふ処に、 蓮如上人も直に可被仰の御心にて、 可有御見参と仰せられさふらへば、 安芸たゞ直に御意までもなく候ふ、 安芸委細可申計仰せされて、 可然よし申上られさふらふ。
-上人は安芸被申さふらふ事は、 何事も仰つる間、 御目にかゝり候へば0643、 此度骨折也、 委細安芸可申と計り仰出されけり。 両使、 是非なく御意と心得て帰国し侍り。 蓮如上人は无事に調、 両使も下り侍らんと思しめしけり。
-越中に帰り各内談申、 各同心に難成事とは心得さふらへども、 其中にも、 是ぞ面白事と、 存じさふらふ衆も侍る也。
一 ▼去文正の比、 富樫次郎 政親、 弟の幸千代と取合て、 次郎は越前に牢入し比、 吉崎に御座さふらふ比なれば、 いろいろ御扶持さふらひき。 然ば国へ帰さふらはゞ、 御門徒中の儀、 于今疎略すべからずの由申たる旨、 次郎を従越前、 御門徒人に被仰付、 加州山田へ被↠入さふらふより、 合戦、 利を得さふらひて、 幸千代を追払、 次郎、 国を手に入、 安堵の処に、 御恩を忘れ当流の衆を嫌さふらふ事、 槻橋と申者所行にさふらふ間、 国中の門人槻橋嫌により、 国の乱は又出来、 百姓等も又損じ候て、 越中まで退たる事也。 前段は此後の事也
一 ▼其後、 加州に又富樫次郎 政親、 いとこの富樫安高と云を取立て、 百姓中合戦し、 利運にして次郎政親を討取り、 安高を守護としてより、 百姓取立の富樫にて候間、 百姓等のうでつよく成て、 近年は、 百姓の持たる国のやうに成行さふらふ事にて候。
-然処に、 安芸、 弥威勢・分限出来て、 吉崎殿寺内に安芸居住の処には土蔵十三立て、 一門繁昌し、 被官数百人ことごとしく成さふらふて、 朝倉弾正左衛門 法名英林 と申者に知音さふらふ。 則名字の庶子に成し、 あまう 安芸とぞ申しける。
-上洛し、 将軍慈照院殿被官分に成り、 奉公衆一分なり。 数度御内書等被成さふらふ。 法眼には将軍家より御成し候。 法橋には吉崎殿御成し候。 塗輿も武家御所より御免、 毛氈鞍覆・唐笠袋まで同前御免にて、 威0644勢无限、 玄永丹後は影もなく、 蓮如上人は申さるゝ侭に御成さふらふ由、 願成就院殿聞召、 大津より御下向さふらひて、 吉崎殿へ御出さふらひて、 蓮如上人船にて御上
-総じて安芸、 門徒過分に候ひき。 夜は朽木を衣の下に被↠付、 光に見せなど、 種々の事さふらひつる由にさふらふ。 蓮如上人にみやづかひの折節は、 皆人々、 安芸殿
-その後、 加州へ被仰付、 安芸曲言の由、 国中へ被↢仰下↡さふらふ間、 湯沸村と申所、 山中に城をこしらへ被↠篭つれば、 国中の衆、 押寄責られさふらへば、 夜中に落行き、 越前へ父子ともに落行隠れ居て、 数ヶ年越前にかゞみ居られ侍を、 蓮如上人御往生近くなりて、 明応八年二月比より、 加州一家中へ、 安芸よりより縁を求て、 侘言の議さふらへども、 誰にても取上べきと思ふ人もなく侍るに、 御往生の砌には、 山科の近くに上洛し、 あれこれに付て、 色々侘言申入度さふらふ由、 申入さふらへども、 誰にても可↢取次↡と申人もなくて侍る所に、 蓮如上人三月初比に、
-両所被↠申には、 いづくにありとも更に聞不↠申さふらふ。 何と有事さふらふや、 不↠
-既に御往生も近付よと、 各も存じさふらふ処、 如↠此被仰事にてさふらふ間、 如何すべきとて、 越前辺にありげに候と被申入さふらへば、 人を遣して呼よと被↢仰出↡、 可↠被↢召出↡さふらふ由の御意さふらふ。
-上洛仕りさふらへど、 山科八町まで上被↠居候ふ間、 その旨申上さふらへば、 可↠被↢召出↡と被↢仰出↡候ふ間、 徒にさふらふを被↢召出↡さふらひては、 外聞方々如何と、 各申され候へば、 実如上人・北隣坊已下も、 さゝへ御申候ふ様にさふらへば、 それは不↠可↠然候。 弥陀の本願は悪人を本に御助あるべきとの御本誓なり。 徒者を免すが当流の奇模なり、 呼出すべしと被仰出候間、 *廿日比に召出し候ふて、 御対面ありければ、 安芸法眼忝由被申上、 唯涙
-廿五日に御往生に奉↠
右条々、 愚老承伝分注付処、 御所望之間、 悪筆と云ひ文言と云ひ、 旁以難憚入不存隔心、 筋目迄令進者也。 可被外見止者也。 可笑可笑。
0646*天正三 称蒙人定 金商梢秋初十日
苾蒭
佐栄大僧都御房 参
教行寺三代目法名証誓
私云 恵空、 斯一巻、 *元禄十七年 甲申 正月廿日写之竟。 写本者六条浄真寺之本也。 豫 先年於↢河州願得寺↡、 閲↢古記↡中有↧題↢塵拾
隠侶恵空子
右本侭伝写之畢
即得寺理寛叟