正 像 末 和 讃
◎^¬般0467舟三昧行道往生讃¼曰
^「敬白↢一切往生知識等↡。大須↢暫愧↡。釈迦如来実是慈悲父母。種種方便発↢起我等无上信心↡。」文
註釈版の底本は◎龍谷大学蔵文明五年蓮如上人開版本(文明本)ˆ聖典全書上段ˇ。 ○高田派専修寺蔵国宝本(国宝本)ˆ聖典全書中段ˇは欠けているものが多いため、 対照に●正応三年顕智上人書写本(顕智本)ˆ聖典全書下段ˇを収録した。 なお、 ○の左訓も適宜採録し、 緑で示している。
^康元二歳丁已二月九日夜寅時夢告云
(10468)
弥陀の本願信ずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
无上覚おばさとるなり
*この和讃を、 ゆめにおほせをかぶりて、 うれしさにかきつけまいらせたるなり。
*正嘉元年丁巳閏三月一日
愚禿親鸞 八十五歳 書之
国宝本より。
正0469像末法和讃
(2)
釈尊かくれましまして
二千余年になりたまふ
正像の二時はおわりにき
如来の遺弟悲泣せよ
ミデシナリ
カナシミナクベシトナリ
(30470)
末法五濁の有情の
イマコノヨハワルクナリタリトシルベシ
行証かなわぬときなれば
釈迦の遺法ことごとく
ノコリノミノリヲユイホフトマフスナリ
竜宮にいりたまひにき
ハチダイリウワウノミヤコナリ
(4)
正像末の三時には
ミトキ
シヤウボフザウボフマチポフ
弥陀の本願ひろまれり
像季・末法のこのよには
ザウボフノスヱ
諸善竜宮にいりたまふ
シヤクソンノミノリハミナリウグヘイリマシマストナリ
(50471)
¬大集経¼ にときたまふ
この世は第五五百年
闘諍堅固なるゆへに
タヽカイ
カタクサカリナリ
アラソイ
白法隠滞したまへり
ヨロヅノゼンゴンカクレトヾマリタマフ リウグヘイリタマフ也
ゼンゴンナリ
カクレトヾマルナリ
ヨロヅノゼンハリウグヘカクレイリタマフナリ
(6)
¬悲華経¼云
数万歳の有情も
イノチナガクアリシシヤウボフモヤウヤクイノチミジカクナリクダルナリ
果報やうやくおとろえて
二万歳にいたりては
ヒトノイノチニマンザイトイフヨリハ
五濁悪世のなをえたり
(70472)
劫濁のときうつるには
有情やうやく身小なり
ヒトノミチイサクナリ
五濁悪邪まさるゆへ
アクゴフノマサルナリ
悪龍・毒蛇のごとくなり
ヒトノコヽロアクノマサルコトアクリウドクジヤノヤウニナルナリ
(8)
无明煩悩しげくして
塵数のごとく遍満す
ボムナウアクゴフマサリテチリノゴトクヨニミチミツナリ
愛憎違順することは
ヨクノコヽロソネミネタムコヽロタガフコヽロマサルナリ
高峰岳山にことならず
タカキミネノゴトクオカヤマノゴトクボムナウアクノマサルナリ
(90473)
有情の邪見熾盛にて
サカリナリ
叢林棘刺のごとくなり
クサムラハヤシノゴトクムバラカラタチノゴトクボムナウアクマサルベシト也
念仏の信者を疑謗して
ウタガフ
ソシル
破懐瞋毒さかりなり
ヤブリホロボシイカリヲナスベシトナリ
(10)
命濁中夭刹那にて
ヒトノイノチミジカクモロシ
依正二報滅亡す
ホロボシウシナウ
ヒトノイノチモモテルモノモホロビウスベシトナリ
背正帰邪をこのむゆへ
タヾシキコトヲソムキヒガゴトヲタノムコヽロナリ
横にあだおぞおこしける
ゴヂヨクノヨノアリサマナリ
ヨコサマナルコヽロノミアルベシトナリ
(110474)
末法第五の五百年
コノゴロハマチポフノハジメトシルベシ
この世の一切有情の
如来の悲願を信ぜねば
出離その期もなかるべし
(12)
九十五種世をけがす
グヱダウノカズノオホキナリ
コノホカニマタ六十二ケンノグヱダウアリトシルベシ
唯仏一道きよくます
ブチダウノミヒトリキヨクメデタクマシマストシルベシ
菩提に出到してのみぞ
ホトケニナリテゾウジヤウタスクベキト
火宅の利益は自然なる
コノシヤバセカイナリ
(130475)
五濁の時機いたりては
トキトウジヤウトナリ
道俗ともにあらそいて
念仏信ずる人をみて
疑謗破滅さかりなり
ウタガフ
ソシル
ヤブリホロボスナリ
(14)
菩提をうまじき人はみな
専修念仏にあだをなす
頓教毀滅のしるしには
ソシリホロボスナリ
生死の大海きわもなし
(150476)
正法の時機とおもへども
トキ
ウジヤウ
底下の凡愚となれるみは
ボムナウノソコニシヅメルボムブトイフナリ
清浄真実のこゝろなし
シヤウジヤウノコヽロナシ シンジチノコヽロナシ
発菩提心いかゞせん
(16)
自力聖道の菩提心
こゝろもことばもおよばれず
常没流転の凡愚は
ツネニシヤウジダイカイニシズムトナリ
二十五ウニマドヒアルクヲルテントハイフナリ
いかでか発起せしむべき
ヒラキオコシガタシトナリ
(170477)
三恒河沙の諸仏の
出世のみもとにありしとき
大菩提心おこせども
ヨロヅノシユジヤウヲホトケニナサムトオモフコヽロナリ
自力かなはで流転せり
ロクダウシシヤウニマドヘリトナリ
ジリキノボダイシムニテケフマデカクテマドヘリトシルベシ
(18)
像末五濁の世となりて
ザフボフノヨマチポフノヨトナリニタリトシルベシトナリ
釈迦の遺教かくれしむ
シヤカノノコリノミノリナリ
弥陀の悲願はひろまりて
念仏往生さかりなり
(190478)
超世无上に摂取し
選択五劫思惟して
光明・寿命の誓願を
大悲の本としたまへり
(20)
浄土の大菩提心は
ヨロヅノシユジヤウヲホトケニナサムトオモフコヽロナリ
願作仏心をすゝめしむ
ミダノホングワンナリ
タリキノボダイシムナリ ゴクラクニムマレテホトケニナラムトネガヘトスヽメタマヘルコヽロナリ
すなわち願作仏心を
ミダノヒグワンヲフカクシンジテホトケニナラムトメガフコヽロヲボダイシムトマフスナリ
度衆生心となづけたり
コノコヽロハウジヤウヲホトケニナサムトスルコヽロナリ
ヨロヅノウジヤウヲホトケニナサムトオモフコヽロナリトシルベシ
(210479)
度衆生心といふことは
ジヤウドノダイボダイシムナリ
タリキノボダシムトマフスナリ
弥陀智願の廻向なり
ミダニヨライノヒグワンヲマフスナリ
廻向の信楽うるひとは
ミダノグワンリキヲフタゴヽロナクシンズルヲイフナリ
大般涅槃をさとるなり
ミダニヨライトヒトシクサトリヲウルヲマフスナリ
(22)
如来の廻向に帰入して
ミダノホングワンヲワレラニアタエタマヒタルヲヱカウトマフスナリ コレヲニヨライノヱカウトマフスナリ
願作仏心をうる人は
ジヤウドノダイボダイシムナリ
自力の廻向をすてはてゝ
利益有情はきわもなし
ヨロヅノシユジヤウヲウジヤウトハイフナリ
(230480)
弥陀の智願海水に
ホングワンヲダイカイノミヅニタトヘマフス也
他力の信水いりぬれば
マコトノシンジムヲミヅニタトエタルナリ
真実報土のならひには
ゴクラクヲホウドヽマフスナリ
煩悩・菩提一味なり
アンラクジヤウドニムマレヌレバアクモゼンモヒトツアヂワイトナルナリ
(24)
如来二種の廻向を
ミダニヨライノホングワンノヱカウニワウサウノヱカウグヱンサウノヱカウトマフシテフタツノヱカウノアルナリ
ふかく信ずる人はみな
等正覚にいたるゆへ
シヤウヂヤウジユノクラヰナリ
憶念の心はたへぬなり
(250481)
弥陀智願の廻向の
信楽まことにうる人は
シンジチノシンジムヲウルヒトヽイフナリ
摂取不捨の利益ゆへ
シンジムノヒトヲミダニヨライオサメトリタマフトマフスナリ
等正覚にはいたるなり