正 像 末 和 讃

 

^¬般0467舟三昧行道往生讃¼曰

^「敬白↢一切往生知識等↡。大須↢暫愧↡。釈迦如来実是慈悲父母。種種方便発↢起我等无上信心↡。」

註釈版の底本は◎龍谷大学蔵文明五年蓮如上人開版本(文明本)ˆ聖典全書上段ˇ。 ○高田派専修寺蔵国宝本(国宝本)ˆ聖典全書中段ˇは欠けているものが多いため、 対照に●正応三年顕智上人書写本(顕智本)ˆ聖典全書下段ˇを収録した。 なお、 ○の左訓も適宜採録し、 で示している。

^康元二歳丁已二月九日夜寅時夢告云

(10468)

弥陀の本願信ずべし

本願信ずるひとはみな

摂取不捨の利益にて

无上覚おばさとるなり

 

*この和讃を、 ゆめにおほせをかぶりて、 うれしさにかきつけまいらせたるなり。

*正嘉元年丁巳閏三月一日

愚禿親鸞 八十五歳 書之

国宝本より。

 

0469像末法和讃

 

(2)

しやくそんかくれましまして

二千ねんになりたまふ

しやうざう二時にじはおわりにき

如来の遺弟ゆいていきふせよ

ミデシナリ

カナシミナクベシトナリ

(30470)

末法まちぽふぢよくじやう

イマコノヨハワルクナリタリトシルベシ

行証ぎやうしようかなわぬときなれば

しや遺法ゆいほふことごとく

ノコリノミノリヲユイホフトマフスナリ

りうにいりたまひにき

ハチダイリウワウノミヤコナリ

(4)

しやう像末ざうまちさむには

ミトキ

シヤウボフザウボフマチポフ

弥陀みだほんぐわんひろまれり

ざう末法まちぽふのこのよには

ザウボフノスヱ

諸善しよぜんりうにいりたまふ

シヤクソンノミノリハミナリウグヘイリマシマストナリ

(50471)

¬大じふきやう¼ にときたまふ

この第五だいごの五百年

とうじやうけんなるゆへに

タヽカイ

カタクサカリナリ

アラソイ

びやくほふ隠滞おむたいしたまへり

ヨロヅノゼンゴンカクレトヾマリタマフ リウグヘイリタマフ也

ゼンゴンナリ

カクレトヾマルナリ

ヨロヅノゼンハリウグヘカクレイリタマフナリ

(6)

¬悲華経¼云

数万歳しゆまんざいじやう

イノチナガクアリシシヤウボフモヤウヤクイノチミジカクナリクダルナリ

果報くわほうやうやくおとろえて

二万ざいにいたりては

ヒトノイノチニマンザイトイフヨリハ

ぢよくあくのなをえたり

(70472)

こふぢよくのときうつるには

じやうやうやく身小しんせうなり

ヒトノミチイサクナリ

ぢよく悪邪あくじやまさるゆへ

アクゴフノマサルナリ

悪龍あくりう毒蛇どくじやのごとくなり

ヒトノコヽロアクノマサルコトアクリウドクジヤノヤウニナルナリ

(8)

みやう煩悩ぼむなうしげくして

塵数ぢんじゆのごとく遍満へんまん

ボムナウアクゴフマサリテチリノゴトクヨニミチミツナリ

愛憎あいぞうじゆんすることは

ヨクノコヽロソネミネタムコヽロタガフコヽロマサルナリ

かう岳山がくざんにことならず

タカキミネノゴトクオカヤマノゴトクボムナウアクノマサルナリ

(90473)

じやう邪見じやけんじやうにて

サカリナリ

叢林そうりむこくのごとくなり

クサムラハヤシノゴトクムバラカラタチノゴトクボムナウアクマサルベシト也

念仏の信者しんじやはうして

ウタガフ

ソシル

破懐はゑ瞋毒しんどくさかりなり

ヤブリホロボシイカリヲナスベシトナリ

(10)

命濁みやうぢよく中夭ちうえうせちにて

ヒトノイノチミジカクモロシ

しやうほう滅亡めちまう

ホロボシウシナウ

ヒトノイノチモモテルモノモホロビウスベシトナリ

はいしやう帰邪くゐじやをこのむゆへ

タヾシキコトヲソムキヒガゴトヲタノムコヽロナリ

わうにあだおぞおこしける

ゴヂヨクノヨノアリサマナリ

ヨコサマナルコヽロノミアルベシトナリ

(110474)

末法まちぽふだい百年

コノゴロハマチポフノハジメトシルベシ

この一切ゐちさいじやう

如来によらいぐわんしんねば

しゆつそのなかるべし

(12)

九十しゆをけがす

グヱダウノカズノオホキナリ

コノホカニマタ六十二ケンノグヱダウアリトシルベシ

唯仏ゆいぶち一道ゐちだうきよくます

ブチダウノミヒトリキヨクメデタクマシマストシルベシ

だいしゆつたうしてのみぞ

ホトケニナリテゾウジヤウタスクベキト

火宅くわたくやくねんなる

コノシヤバセカイナリ

(130475)

ぢよく時機じきいたりては

トキトウジヤウトナリ

道俗だうぞくともにあらそいて

念仏しんずる人をみて

はうめちさかりなり

ウタガフ

ソシル

ヤブリホロボスナリ

(14)

だいをうまじき人はみな

専修せんじゆ念仏にあだをなす

頓教とんげう毀滅くゐめちのしるしには

ソシリホロボスナリ

しやう大海だいかいきわもなし

(150476)

しやうぼふ時機じきとおもへども

トキ

ウジヤウ

ていぼんとなれるみは

ボムナウノソコニシヅメルボムブトイフナリ

清浄しやうじやう真実しんじちのこゝろなし

シヤウジヤウノコヽロナシ シンジチノコヽロナシ

ほちだいしむいかゞせん

(16)

りきしやうだうだいしむ

こゝろもことばもおよばれず

じやうもちてんぼむ

ツネニシヤウジダイカイニシズムトナリ

二十五ウニマドヒアルクヲルテントハイフナリ

いかでかほちせしむべき

ヒラキオコシガタシトナリ

(170477)

さむごうじや諸仏しよぶち

しゆつのみもとにありしとき

だいしむおこせども

ヨロヅノシユジヤウヲホトケニナサムトオモフコヽロナリ

自力かなはでてんせり

ロクダウシシヤウニマドヘリトナリ

ジリキノボダイシムニテケフマデカクテマドヘリトシルベシ

(18)

像末ざうまちぢよくとなりて

ザフボフノヨマチポフノヨトナリニタリトシルベシトナリ

しや遺教ゆいけうかくれしむ

シヤカノノコリノミノリナリ

弥陀みだぐわんはひろまりて

念仏わうじやうさかりなり

(190478)

てうじやう摂取せふしゆ

せんぢやくこふゆいして

光明くわうみやう寿じゆみやうせいぐわん

ほんとしたまへり

(20)

じやうの大だいしむ

ヨロヅノシユジヤウヲホトケニナサムトオモフコヽロナリ

ぐわん仏心ぶちしむをすゝめしむ

ミダノホングワンナリ

タリキノボダイシムナリ ゴクラクニムマレテホトケニナラムトネガヘトスヽメタマヘルコヽロナリ

すなわちぐわん仏心ぶちしむ

ミダノヒグワンヲフカクシンジテホトケニナラムトメガフコヽロヲボダイシムトマフスナリ

しゆじやうしむとなづけたり

コノコヽロハウジヤウヲホトケニナサムトスルコヽロナリ

ヨロヅノウジヤウヲホトケニナサムトオモフコヽロナリトシルベシ

(210479)

しゆじやうしむといふことは

ジヤウドノダイボダイシムナリ

タリキノボダシムトマフスナリ

弥陀みだぐわんかうなり

ミダニヨライノヒグワンヲマフスナリ

かう信楽しんげううるひとは

ミダノグワンリキヲフタゴヽロナクシンズルヲイフナリ

大般だいはち涅槃ねちはんをさとるなり

ミダニヨライトヒトシクサトリヲウルヲマフスナリ

(22)

如来のかう帰入くゐにふして

ミダノホングワンヲワレラニアタエタマヒタルヲヱカウトマフスナリ コレヲニヨライノヱカウトマフスナリ

ぐわん仏心ぶちしむをうる人は

ジヤウドノダイボダイシムナリ

りきかうをすてはてゝ

やくじやうはきわもなし

ヨロヅノシユジヤウヲウジヤウトハイフナリ

(230480)

弥陀みだぐわん海水かいしゐ

ホングワンヲダイカイノミヅニタトヘマフス也

りき信水しんしゐいりぬれば

マコトノシンジムヲミヅニタトエタルナリ

真実しんじちほうのならひに

ゴクラクヲホウドヽマフスナリ

煩悩ぼむなうだいゐちなり

アンラクジヤウドニムマレヌレバアクモゼンモヒトツアヂワイトナルナリ

(24)

如来によらいしゆかう

ミダニヨライノホングワンノヱカウニワウサウノヱカウグヱンサウノヱカウトマフシテフタツノヱカウノアルナリ

ふかくしんずるひとはみな

とうしやうがくにいたるゆへ

シヤウヂヤウジユノクラヰナリ

憶念おくねむしむはたへぬなり

(250481)

弥陀みだぐわんかう

信楽しんげうまことにうる人は

シンジチノシンジムヲウルヒトヽイフナリ

摂取せふしゆしややくゆへ

シンジムノヒトヲミダニヨライオサメトリタマフトマフスナリ

とうしやうがくにはいたるなり

シヤウヂヤウジユノクラヰナリ

(26)

十六じふろくおく七千まん

ろくさちはとしをへむ

まことの信心しんじむうる人は

このたびさとりをひらくべし

(270482)

念仏わうじやうぐわんにより

とうしやうがくにいたる人

シヤウヂヤウジユノクライナリ

ミロクヲトウシヤウガクトマフスナリ

すなわちろくにおなじくて

大般だいはち涅槃ねちはんをさとるべし

(28)

真実しんじち信心しんじむうるゆへに

すなわちぢやうじゆにいりぬれば

しよろくにおなじくて

じやうかくをさとるなり

ダイハチネハンヲマフスナリ

(290483)

像法ざうぼふのときのにん

りき諸教しよけうをさしおきて

時機じき相応さうおうほふなれば

トキトシユジヤウトアイカナヘルホフトイフナリ

念仏もんにぞいりたまふ

(30)

弥陀みだ尊号そんがうとなへつゝ

信楽しんげうまことにうる人は

憶念おくねむの心つねにして

仏恩ぶちおんほうずるおもひあり

(310484)

ぢよくあくじやう

せんぢやくほんぐわんしんずれは

不可ふかしよう不可ふかせち不可思議ふかしぎ

どくしんじゃぞたまわれる

(32)

无むげくわうぶちのみことには

らいじやうせむとて

大勢だいせいさち

智慧ちゑの念仏さづけしむ

(330485)

ぢよくじやうをあはれみて

せい念仏すゝめしむ

信心しんじむひと摂取せふしゆして

オサメトリタマフトナリ

じやう帰入くゐにふせしめけり

(34)

弥陀みだしや慈悲じひよりぞ

オムスヽメヨリマコトノシンジムヲタマ⊂⊃トシルベシ

ぐわん仏心ぶちしむはえしめたる

ジヤウドノダイボダイシムナリ

ホトケニナラムトチカヒヲシンズルコヽロナリ

信心しんじむ智慧ちゑにいりてこそ

ミダノチカヒハチヱニテマシマスユヘニシンズルコヽロノイデクルハチヱノオコルトシルベシ

仏恩ぶちおむほうずるみとはなれ

(350486)

智慧ちゑ念仏ねむぶちうることは

ミダノチカヒヲモテホトケニナルユヘニチヱノネムブチトマフスナリ

法蔵ほふざうぐわんりきのなせるなり

信心しんじむ智慧ちゑなかりせば

いかでか涅槃ねちはんをさとらまし

マコトノホトケニナルヲマフスナリ

(36)

みやうぢやうとうなり

ツネノトモシビ

オホキナルトモシビ

ミダノオムチカヒヲモシビニタトヘマフス也

ボムナウヲナガキヨニタトフ

tiげんくらしとかなしむな

チヱノマナコナリ

しやう大海だいかい船筏せむばちなり

ミダノグワンヲフネイカダニトトヘタルナリ

ざいしやうおもしとなげかざれ

ツミ

サワリ

(370487)

ぐわんりき无窮むぐにましませば

ホトケノオムチカラキワマリナシトナリ

罪業ざいごふ深重じむぢうもおもからす

ツミ

フカクオモキ

ツミノサワリフカクオモシトオモフベカラズトナリ

ぶちへんにましませば

ホトケノチヱキワナクヒロクマシマストシルベシトナリ

散乱さんらん放逸はういちもすてられず

コヽロノチリミダル

オモフサマナルモノトイフ

ワレラガコヽロノチリミダレテワルキヲキラハズジヤウドニマイルベシトシルベシトナリ

(38)

如来によらいぐわんをたづぬれば

ミダニヨライノヒグワンヲオコシタマヒシコトヲマフスナリ

なうしゆじやうをすてずして

かうしゆとしたまひて

ジヒノハジメトシカシラトシテダイジダイヒシムヲエタマヘルナリトシルベシ

カシラトシハジメテ

だいしむおばじやうじゆせり

ミダノダイジダイヒシムヲエタマヘリトシルベシトナリ

(390488)

真実しんじち信心しんじむ称名しやうみやう

弥陀みだかうほふなれば

かうとなづけてぞ

ギヤウジヤノヱカウニアラズ カルガユヘニフヱカウトイフ ワウジヤウエウシフニアカセリ

ギヤウジヤノヱカウニアラズトシルベシトナリ

りきしようねむきらはるゝ

(40)

弥陀みだぐわんくわうかい

ぼむ善悪ぜんあく心水しむしゐ

ゼンアクノコヽロヲミヅニタトヘタルナリ

帰入くゐにふしぬればすなはちに

だいしむとぞてんずなる

サマザマノミヅノウミニイリテスナワチシホトナルガゴトクゼンアクノコヽロノミヅミナダイヒノシムニナルナリ

(410489)

造悪ざうあくこのむわが弟子でし

シヤクソンノミデシノワルクナリユクトナリ

邪見じやけん放逸はういちさかりにて

まちにわがほふすべしと

シヤクソンノミノリヲヤブルベシトミコトニアラワセリ

¬蓮華れんぐゑめんぎやう¼にときたまふ

(42)

念仏はうじやう

阿鼻あびごくざいして

ムケンヂゴクナリ

オチヰルトナリ

八万はちまんごふちうだいなう

ひまなくうくとぞときたまふ

(430490)

真実しんじちほうしやういん

そんことにたまはりて

正定しやうぢやうじゆぢゆすれば

かならずめちをさとるなり

ダイハチネハンナリ

(44)

十方じふぱうりやう諸仏しよぶち

証誠しようじやうねむことにて

りきだいだいしむ

かなはぬほどはしりぬべし

(450491)

真実しんじち信心しんじむうることは

末法まちぽふぢよくにまれなりと

恒沙ごうじや諸仏しよぶち証誠しようじやう

えがたきほどをあらはせり

(46)

往相わうさうぐゑんさうかう

ミダノニシユノヱカウナリ

まうあはぬみとなりにせば

てんりんもきわもなし

ルテンシヤウジ

リンヱシヤウジ

かい沈淪ちむりんいかゞせん

(470492)

ぶち不思議ふしぎしんずれば

正定しやうぢやうじゆにこそぢゆしけれ

くゑしやうひと智慧ちゑすぐれ

じやうかくおぞさとりける

(48)

不思議ふしぎぶちしんずるを

ほういんとしたまへり

信心しんじむしやういんうることは

かたきがなかになほかたし

(490493)

无始むしてんをすてゝ

じやう涅槃ねちはんすること

如来によらいしゆかう

恩徳おむどくまことにしやしがたし

(50)

ほう信者しんじやはおほからず

くゑぎやうじやはかずおほし

りきだいかなはねば

遠劫おんごふよりてんせり

(510494)

南无なも阿弥陀あみだぶちかう

恩徳おむどくくわうだい不思議ふしぎにて

往相わうさうかうやくには

ぐゑんさうかうにふせり

(52)

往相わうさうかうだいより

ぐゑんさうかうだいをう

如来によらいかうなかりせば

じやうだいはいかゞせん

(530495)

弥陀みだくわんおむ大勢だいせい

だいぐわんふねじようじてぞ

しやううみにうかつゝ

しゆじやうをよばふてのせたまふ

(54)

弥陀みだだいせいぐわん

ふかくしんぜんひとはみな

ねてもさめてもへだてなく

南无なも阿弥陀あみだぶちとなふべし

(550496)

しやうだうもんひとはみな

りきしむをむねとせり

りき不思議ふしぎにいりぬれば

なきをとすとしんせり

(56)

しやゆいほふましませど

しゆすべきじやうのなきゆへに

さとりうるもの末法まちぽふ

一人もあらじとときたまふ

(570497)

三朝さむてうじやうだいとう

テンヂクシムタンコノクニヲサムテウトイフナリ

ジヤウドシユノソシヲマフスナリ

哀愍あいみん摂受せふじゆしたまひて

アワレミタマヘト

オサメウケタマヘトナリ

真実しんじち信心しむじんすゝめしめ

ぢやうじゆのくらゐにいれしめよ

カナラズホトケニナルクラヰニスヽメイレタマヘトナリ

(58)

りき信心しんじむうる人を

うやまひおほきによろこ

すなわちわがしんぞと

教主けうしゆそんはほめたまふ

(590498)

如来によらいだい恩徳おむどく

にしてもほうずべし

しゆしき恩徳おむどく

ほねくだきてしやすべし

  已上正像末法和讃

弥陀如来和讃 五十八首

 

 

愚禿述懐

 

(600499)

仏智疑惑罪過

れうぶちのしるしには

如来によらいしよわくして

罪福ざいふくしん善本ぜんぽん

たのめばへんにとまるなり

(--)

(610500)

罪福ざいふくしんずるぎやうじや

ぶち不思議ふしぎをうたがひて

じやうたいにとゞまれば

三宝さむぼうにはなれたてまつる

(62)

ぶちわくつみにより

まんへんにとまるなり

わくつみのふかきゆへ

年歳ねんさい劫数こふしゆをふるととく

(630501)

転輪皇てんりんわうの王子の

わうにつみをうるゆへに

こむをもちてつなぎつゝ

ワウノコナレバトテコガネノクサリニテツナガムトタトヘタリ

牢獄らうごくにいるがごとくにて

ジリキノネムブチシヤヲワウノコノツミフカクシテゴクニイマシムルニタトフルナリ

(64)

りき称名しようみやうの人はみな

如来によらいほんぐわんしんぜねば

うたがひのつみのふかきゆへ

七宝しちぽうごくにぞいましむる

(800502)

信心の人におとらじと

疑心自力の行者も

如来大悲の恩をしり

称名念仏はげむべし

(81)

自力諸善のひとはみな

仏智の不思議をうたがへば

自業自得の道理にて

七宝の獄にぞいりにける

(650503)

ぶち不思議ふしぎをうたがひて

善本ぜんぽん徳本とくほんたのむ人

へんまんにむまるれは

だいだいはえざりけり

(66)

ほんぐわんわくぎやうじやには

含花がむくゑしゆつの人もあり

ハナニフウマルヽナリ

わくしやうへんときらひつゝ

アルヒハヘンヂニムマルヽトイフ

わくたいとすてらるゝ

アルイハクタイニオツトイフ

(670504)

如来のしよわくして

しんぜずながらなほもまた

罪福ざいふくふかくしんぜしめ

善本ぜんぽん修習しゆじふすぐれたり

(68)

ぶちわくするゆへに

たいしやうのものは智慧ちゑもなし

たいにかならずむまるゝを

牢獄らうごくにいるとたとへたり

(690505)

七宝しちぽう殿でんにむまれては

五百さいのとしをへて

三宝さむぼう見聞けんもんせざるゆへ

じやうやくはさらになし

(70)

へん七宝しちぽう殿でん

五百さいまでいでずして

みづからくわをなさしめて

トガ

ツミ

もろもろのやくをうくるなり

モロクアヤウキナリ

(710506)

罪福ざいふくふかくしんじつゝ

善本ぜんぽん修習しゆじふする人は

しむ善人ぜんにんなるゆへに

方便はうべんくゑにとまるなり

(72)

弥陀みだほんぐわんしんぜねば

わくたいしてむまれつゝ

はなはすなわちひらけねば

たいしよするにたとえたり

(730507)

ときに慈氏じし菩薩の

ミロクナリ

そんにまふしたまひけり

いんえんいかなれば

たいしやう・化生となづけたる

(74)

如来によらい慈氏じしにのたまはく

ミロクナリ

わくの心をもちながら

善本修するをたのみにて

たいへんにとゞまれり

(750508)

ぶちわくつみゆへに

五百歳まて牢獄らうごく

かたくいましめおはします

これをたい生とときたまふ

(76)

ぶち不思議ふしぎをうたがひて

罪福ざいふくしんずるじやう

殿でんにかならずむまるれば

たいしやうのものとときたまふ

(770509)

りきしむをむねとして

不思議ふしぎぶちをたのまねば

たいにむまれてひやくさい

三宝さむぽう慈悲じひにはなれたり

(78)

ぶち不思議ふしぎわくして

罪福ざいふくしん善本ぜんぽん

しゆしてじやうをねがふおば

たいしやうといふとときたまふ

(790510)

ぶちうたがふつみふかし

このしむおもひしるならば

くゆるこゝろをむねとして

ぶち不思議ふしぎをたのむべし

 

^已上わく罪過二十二首

ぶちうたがふつみとがの、 ふかきことをあらはせり。 これをへんぢけまんたいしやうなんどゝいふなり。

愚禿親鸞作

 0511

(83)

(--0512)

(--)

(--0513)

(--)

(--0514)

(--)

(--0515)

(39)

上宮太子方便し

和国の有情をあわれみて

如来によらいの悲願弘宣せり

ヒロメノベタマヘリ

慶喜奉讃せしむべし

ヨロコビテホメタテマツルベシトナリ

(--0516)

(--)

 

0517禿悲歎述懐

(82)

浄土真宗に帰すれども

真実の心はありがたし

虚仮こけじちこのみにて

清浄の心もさらになし

(--0518)

ぐゑのすがたはひとごとに

賢善けんぜんしやうじんげんぜしむ

貪瞋とむじん邪偽じやぐゐおほきゆへ

かむもゝはしにみてり

(84)

あくしやうさらにやめがたし

こゝろは蛇蝎じやかちのごとくなり

修善しゆぜん雑毒ざふどくなるゆへに

虚仮こけぎやうとぞなづけたる

(850519)

ざむぐゐのこのみにて

まことのこゝろはなけれども

弥陀の廻向の御名みななれば

功徳は十方にみちたまふ

(86)

もなきみにて

じやうやくはおもふべき

如来によらいの願せむいまさずは

苦海をいかでかわたるべき

(870520)

蛇蝎じやかちかむのこゝろにて

自力修善はかなふまじ

如来によらいの廻向をたのまでは

无慙无愧にてはてぞせん

(88)

愚禿悲嘆の述懐

五濁増のしるしには

このよの道俗ことごとく

外儀は仏教のすがたにて

内心外道を帰敬せり

(890521)

かなしきかなや道俗の

りやう吉日きちにちえらばしめ

天神・地祇をあがめつゝ

卜占ぼくせさいをつとめとす

ウラ

マツリ

ハラエ

(90)

僧ぞ法師といふ御名は

たうときことゝきゝしかど

提婆五邪の法ににて

いやしきものになづけたり

(910522)

外道ぐゑだうぼむけん

こゝろはかわらぬものとして

如来のほふをつねにきて

一切鬼神をあがむめり

(92)

かなしきかなやこのごろの

和国の道俗みなともに

仏教の威儀ゐぎとゝして

天地の鬼神を尊敬す

(--0523)

(--)

(浄別尾50524)

罪業ざいごふもとよりしよなし

妄想まうざう顛倒てんだうよりおこる

しむしやうみなもときよけれ

しゆじやうすなわち仏なり

(--)

(--0525)

 ^已上三十三首

愚禿悲嘆述懐

 

(浄別尾4)0526

无明法性ことなれど

しむはすなわちひとつなり

このしむすなわち涅槃ねちはんなり

このしむすなわち如来によらいなり

(38)

大日本国粟散王

仏法弘興の上わう

ヒロメオコシタマフトナリ

恩徳ふかくひろくます

オハシマストナリ

奉讃たえずおもふべし

ホメタテマツルベシトナリ

 

(--0527)

(--)

(--0528)

(--)

(--0529)

(自然法爾章)

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0532本云

*正嘉二歳九月廿四日

親鸞 八十六歳

*正応三年庚寅九月廿五日令書写之畢

¬涅槃経¼ にのたまはく、

おもてじょう満月まんがつのごとし、 まなこしょうれんのごとし。 仏法ぶっぽう大海だいかいみずなんしんにゅうす。」

¬涅槃経¼言

「面如↢浄満月↡、眼若↢青蓮花↡。仏法大海水、流↢入阿難心↡。」

¬観念法門¼ にいはく、

「またうやまひて一切いっさいおうじょう人等にんとうにまうさく、 もしこのことばかば、 すなはちこえおうじてかなしみなみだるべし。 連劫れんごう累劫るいこうにも、 にしほねくだきて、 仏恩ぶっとん報謝ほうしゃせよ。」

¬観念法門¼云

「又敬白↢一切往生人等↡、若聞↢此語↡、即応↠声悲雨↠涙。連劫累劫、粉↠身砕↠骨、報↢謝仏恩↡。」