高 僧 和 讃
◎浄0403土高僧和讃 愚禿親鸞作
龍樹菩薩 付釈文 十首
リウジユハキノモトニムマレテマシマシケルヲリウワウトリテヤシナイタリケリ ノチニナムテンヂクノ王ノコニナリタマヒケリ キノモトニムマレリウワウヤシナイタマヒケルニヨリテリウジユトナヅケタテマツルナリ
¬
つくりておほく
すゝめて念仏せしめけり
コレヨリミナミウミノナカニリヨウガサンノヌシダイクヰワウアリ ダイジヨウノホフヲアイスルニヨリテシヤカニヨライワタラセタマヒテホフヲトイテキカセタマフツイデニワレニフメチノノチニイクイクラアリテリウジユヨニイデヽグヱダウヲブクスベシトカネテトキタマフ
サダマラズ
大
クワンギヂハシヤウヂヤウジユノクラヰナリ
ミニヨロコブヲクワントイフ
コヽロニヨロコブヲキトイフ
ウベキモノヲエテムズトオモヒテヨロコブヲクワンギトイフ
ひとえに念仏すゝめける
オホキナルヒトヽイフナリ
カタシ
ナンハシヤウダウモン
ヤスシ
イハジヤウドモン
ウツル反
メグル反
メグル反カヘル反
サソラフ反ナガレ反
おしへをつたへきかむひと
本願こゝろにかけしめて
つねに弥陀を
えむとおもはむひとはみな
ツヽシミウヤマフ
トリタモツチラシウシナハズ反ヒトタビトリテナガクステヌニカク
«フサンフシチニナヅク»
«セウジヨウオバクヤウトイフ ダイジヨウオバクギヤウトイフ»
弥陀の名号
ひさしくしづめるわれらおば
弥陀の弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける
¬
仏は无上法王なり
一
われら
ボムブニテアリシトキトイフ
ツクロウ反オコナウ反
念仏三
ワタリ反
マヌカル
已上龍樹菩薩
天親菩薩 付釈文 十首
弥陀の
クキヤウオバキワメキワムオワリオワル
広大にして
本願力にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の
如来
ジヤウケトイフハアミダノホトケニナリタマヒシトキノハナナリ コノハナニシヤウズルシユジヤウハドウイヰチニネムブチシテベチノミチナシトイフナリ
衆生の
すみやかにとく
ミチタル
天・人
オゴク反ハタラク反
心業の
天親
无光に
本願力に
一心に
天
信心すなはち一心なり
一心すなはち
金剛心は
この心すなわち
グワンドハミダノホンゼイヒグワンノドナリ
无上
すなわち大
これを
0414已上天親菩薩
曇鸞和尚 付釈文 三十四首
浄土にふかく
ナラヒトク
本願他力をときたまふ
グバクトイフハボムナウグソクノボムブトイフナリ
コクワウ
アルクナリ
十方仏国浄土なり
なにゝよりてか
わがみは
いまだ
フタイノクラヰニイタラズトナリ
オモフチカラヨノジヤウドニハカナハズトナリ
一切
コクワウ
クニノナナリ
タウドノナヽリ
ドムランノツクラセタマヒタルオムテラナリ
イワヤ
テラ
やうやくおはりにのぞみては
クニノナナリ ネムブチノハンジヤウシタリケルトコロナリ
スベテコクワウオバテンシトマフスナリ
ホメマイラスルコヽロナリ スベテメデタウマシマストイウフコヽロナリ
おはせしところのそのなおば
ジヤウドノゴフサカリニナリテハ
ドムランノツクラセタマヒタルオムテラナリ ダウシヤクハランシノオムデシナリ コノテラニダウシヤクハツギテオハシマシケリ
ヨノナヽリ
ネンガウナリ
六十
浄土の往生とげたまふ
そのとき
レイズイハヤウヤウノメデタキコトノゲンジホトケモミヘナムトシタマフホドノコトナリ
一切
オホセニシタガフヨリタノミマイラセテウヤマヒタテマツルナリ
クニノナヽリ
サトノナ
ツカノナ
コホリノナヽリ
スグレタルトコロニドムランノミハカヲタテタリ
天親菩薩のみことおも
他力
心行いかでかさとらまし
シムオモギヤウオモイカデカシラマシトナリ
本願
ハチマンシヤウゲウノスベテスコシモカクルコトナキヲヱンドントマフスナリ
フタツナシトナリ
ボムナウボダイモヒトツミゾトナリ
すみやかにとくさとらしむ
いつゝの
仏法不思議といふことは
弥陀の
弥陀の
ワウサウハコレヨリワウジヤウセサセムトオボシメスヱカウナリ
グヱンサウハジヤウドニマイリハテハフゲンノフルマイヲセサセテシユジヤウリヤクセサセムトヱカウシタマヘルナリ
これらの回向によりてこそ
心行ともにえしむなれ
弥陀の
悲願の信行えしむれば
生死すなはち涅槃なり
すなわち
ジフパウノヨロズノシユジヤウナリ
フゲントイフハホトケノジヒノキワマリナリ
論主の一心ととけるおば
ロンジユトイフハテンジンボサチナリ
曇鸞大師のみことには
煩悩成就のわれらが
他力の信とのべたまふ
无明のやみをてらしつゝ
一念
かならず
无光の
かならず
すなわち
こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし
さわりおほきに
アクゴフボムナウナリ
クドクトナル
名号
ハウボフ
ゴグヰヤク
シニカバネ
ヨロヅノカハナリ
大
モロモロ
サソフ反ナガル反
オワリ反オワル反
キワメ反キワム反
无上の方便なりければ
諸仏三
ビヤウドウハスベテモノニオイテヘダテナキコヽロナリ
衆生
ムナシ
クルウ
アクゴフボムナウノコヽロナリ
オサム反タスクルコヽロナリ
シヤス反シヤストイフハケチウシナウコヽロナリ
安楽仏国にいたるには
无上
ニヨイホウシユノタマナリ コノホウシユハニゴレルミヅニイルレバミヅハスメドモミサビヰズ スイシヤウハニゴリミヅニイルレバミサビヰル カルガユヘニスイシヤウオバマンギヤウマンゼンニタトヘホウシユオバミヤウガウニタトフ
真実信心ひとつにて
如来
无生の生なりけれは
ロクダウノシヤウヲハナレタルシヤウナリ
ロクダウシシヤウニムマルヽコトシンジチシンジムノヒトハナキユヘニムシヤウトイフ
モトハコヽノシナノシユジヤウナリ
一二もかはることぞなき
无光如来の名号と
かの
衆生の
ジチノゴトクシユギヤウセズト
一
ゴトシ
イキタルガゴトシ
ゾンゼルガゴトシ
シニタルガゴトシ
マウゼルガゴトシ
アルトキニハワウジヤウシテムズトオモヒアルトキニハワウジヤウハエセジトオモフヲニヤクゾンニヤクマウトイフナリ
二者信心一ならず
サダメサダム
三
アイツガズ
ヨノ
マジワルト
三
カエ反 アヒジヤウズ反
カワル反
行者こゝろをとゞむべし
信心あつからざるゆへに
決定の信なかりけり
決定の信なきゆへに
念相続せざるゆへ
決定の信をえざるなり
決定の信をえざるゆへ
信心
アツカラザルナリ
信心ひとつにさだめたり
本願一実の大
帰入しぬれば涅槃の
さとりはすなわちひらくなり
ヨノナヽリ
セウ反
コクワウノオムナヽリ
コクワウナリ
おはせしかたにつねにむき
已上曇鸞和尚
道綽禅師 付釈文 七首
ダウシヤクハネチハンシユヲガクセサセタマヒケルヲサシオキテヒトエニジヤウドニクヰシタマヒタリ
タヾジヤウドノモンノミイルベキミチトイフ
通入すべきみちととく
本願
ひとりも
コヽニアリテコヽロヲオコシギヤウヲタツルハ
コレハコレジリキナリ
アクヲオコシツミヲツクルコト
アラキカゼトキアメノゴトシトナリ
すゝめて浄土に
一形
モハラ
ヨク
つねに念仏せしむれば
モロモロノサワリ
タトヒ
衆生
ミチビキトル トルトイフハテニトルコヽロナリ
已上道綽大師
善導大師 付釈文 二十六首
大心海より
十方諸仏に
カナウ反
クワンギヤウノギシヨツクラントテ十方シヨブチニシヨウヲコヒタマヒタリ
よよに
クラ
ミヤウガウヲクドクザウトマフスナリ ヨロズノゼンゴンヲアツメタルニヨリテナリ
諸仏の
弥陀の
百千
いつゝのさわりはなれねば
ゴシユノシヤウギヤウゴシユノザフギヤウナリ
五ノシヤウギヤウトイフハライハイドクジユクワンザチシヨウミヤウサンダンクヤウロクシユトイフトキハサンダントクヤウヲフタツニスルナリ
ひとえに
助正ならべて修するおば
ミダヰチブチノコトヲシユスルヲシヤウギヤウトイフ ヨブチヨゼンヲスルヲザフギヤウトイフ
すなわち
イツヽノシヤウギヤウノナカシヨウミヤウノホカ四オバジヨゴフニス タヾ一心ニシヨウミヤウスルヲ一向専修トマフスナリ
一心をえざるひとなれば
これも
マジヘオコナフ
千中无一ときらはるゝ
センガナカニヒトリモムマレズトナリ ヱカムゼンジノシヤクニハマンブヰチシヤウトシヤクセラレタリ
こゝろはひとつにあらねども
ザフギヤウハヨロヅノギヤウ
ザフシユハゲンゼヲイノリ助業ヲシユスルヲイフナリ
浄土の行にあらぬおば
ひとえに
十方シヨブチニマフシタマハクコノクワンギヤウギヲツクリサフラウニシヨウニンニナリタマヘトイノラセタマヒタリ
シンハイカリハラダツ
タトヒ
サトルトヨム
トムハメヲアイシオトコヲアイシ
弘願の信心
マモル
シユハタトエバクニノヌシトナリテマモル
マモル
ゴハクニノヌシナラネドモスベテアツマリテマモルナリ
ブチポフメチジントキイタリマチポフマンネンノアヒダハタヾゴンケウアリテジチケウナシ マンネンノノチヒヤクネンミダノケウマシマスベシ
如来出世の
本願
マコトヲムネトス
ケニタイシテシントイフ 八万四千のホフモンハケモントス ジヤウドヰチシユヲシンモントス
仏法力の
モロモロノアクゴフニサワリナシ
弥陀の本
マサル
ヨロヅノゼンニマサレルニヨリテゾウジヤウエントイフナリ
願力
自力の心行いたらねば
大小聖人みなながら
ダイジヨウノシヤウニン
シヤウジヨウノシヤウニン
如来の
本願力に
すなはち
ケガラワシキミ
法
タノシミツネナリ
われらが无上の信心を
タチオコス
イマハジメテオコスヲキトイフ
ヒラキオコス
ムカシヨリアリシコトヲオコスヲホチトイフ
真心
トオリイタルズイニイタリトオル
マコトノシンジムナリ
三品の
上品ハマナコヨリチヲナガシミヨリチヲイダス
中品ハマナコヨリチヲナガシミヨリアセヲナガス
下品ハナミダヲナガシズイニコヽロガトオルヲイフ
ひとしと
五濁
ながく生死をすてはてゝ
シムノカタキヲケントイフ
コヽロノカタキヲコトイフナリ
さだまるときをまちえてぞ
弥陀の心光摂護して
オサメマモル
ムゲクワウニヨライノオムコヽロニオサメマモリタマフナリ
ながく生死をへだてけれ
真実信心えざるおば
一心かけぬとおしへたり
一心かけたるひとはみな
三
マジエミダル
一念
ヰチネムモウタガヒナキヲホングワンヲウタガフコヽロナシトナリ
マレナリ
スグレタリ反スグレテ反
モトモ反スグレタリ反
サイハモトモコトニスグレタリ
アリガタクスグレタルヨキヒトヽホムルコヽロナリ
正念をうとはさだめたれ
ワウジヤウノシンジムアルヲシヤウネムヲウトハイフ
本願
信心
正念うすとはのべたまへ
信は願より生ずれば
ワレラシユジヤウノシンハミダノグワンヨリオコルナリ
念仏
自然はすなわち
ダイネチハンヲサトラムコトウタガハズトナリ
五濁
ウタガヒソシル
ウタガフモノソシルモノオホシトナリ
本願
ソシル
ホロボス
ソシルニトリテモワガスルホフハマサリマタヒトノスルホフハイヤシトイフヲクヰメチトイフナリ
生
シヤウマウハムマルヽヨリメシヰタルヲイフ
ブチポフニスベテシンナキヲセンダイトイフナリ
大地
コマカナルチリ
ウサギノケノマンサキニヰヒツジノケノマンサキニモヰルチリヲミヂントイフ ウサギヒツジノケヨリホキモノナシ
ªトモウヂンウサギノケ ヤウモウヂンヒツジノケº
ながく三
ニシノミチ オシヘサヅケシカドモ
ワガミヲサウルヲジシヤウトイフ
ヒトヲサウルヲシヤウタトイフナリ
ハルカナルヨリコノカタトイフナリ
むなしくこそはすぎにけれ
いづれのときにか
仏
つねに弥陀を念すべし
浄土
本師釈迦のちからなり
長時に
ツネニトイフナリ
0449已上善導大師
源信大師 付釈文 十首
源信和尚ののたまはく
われこれ
モトノホトケトイフ
本土にかへるとしめしけり
本師
一
念仏一門ひらきてぞ
ホウジンホウドクヱシンクヱドナリ
ヱカムゼンジノグンギロンニヨリテシヨギヤウワウジヤウノヤウヲアラハセリ
¬
ボサチシヨタイキヤウノニノマキケマンヘンヂノヤウヲトカレタルヲヒカレタリ
千无一
センニヒトツモトガナシトナリ
おほからずとぞあらわせる
化土にむまるゝ衆生おば
すくなからずとおしえたり
タウトキヒト
イヤシキヒト
弥陀の名号
行住座臥をえらばれず
大
モノウキコトヽイフハオコタリスツルコヽロナシトナリ
つねにわがみをてらすなり
弥陀の
ホカノスガタ反ミノフルマイ反
ギヤウヂユザグワ 四ヰギノスガタハコトナレド
本願名号信受して
ネテモサメテモ
ヨノゼンヨノブチボサチノハウベンニテハシヤウジイデガタシトナリ
ひとえに弥陀を
浄土にむまるとのべたまふ
已上源信大師
リヨウゴムヰンノウチニヱシムヰンノソウズノオムナヽリ ヱシムヰンハ御バウノナヽリ
源空聖人 付釈文 二十首
弘願の一
日本一
浄土の
本師
浄土真宗をひらきつゝ
本師
カタガタノクニトイフ
いかでか
イデハナル ツヨイエン
本師
このたびむなしくすぎなまし
イトヒ
モトノ
ハナル
オモヒ反コヽロ反
シヤウニンノシヤウダウノオムシノチニハミナクヰシタテマツルナリ
みなもろともに
一心
カネザネノセフシヤウクワンパクナリª月輪殿御法名円照º
ウヤマイミタテマツル
ヨノナカノヒトヽイフ
ダウシヤクトモシメス
あるひは
シメシアラハル
あるいは
アラワルヽナリ
上
ミヤコ
モロモロノタミ
ヰビス
ウヤマヒアフグナリ
後高倉院
本師
ゾクガクシヤウ
ホフシガクシヤウ
ひとしく
グヱンクヒジリトシメシツヽトアソバシタルホンモアリ
无上の信心おしえてぞ
かたきがなかになほかたし
ウタガフコヽロ
トモガラ
カシコクヨキヒト
オロカナルヒト
ヨキヒト
イヤシクイヤシ
往生みたびになりぬるに
このたびことにとげやすし
ムマルト
アワヲチラセルガゴトクナルクニナリ
念仏
衆生
この
阿弥陀
浄土にかへりたまひにき
本
ヒカリムラサキノクモノゴトクナリ
アハレニスメルコヱニテ
カヾヤシキカウバシキナリ
カネテ
マイル
ムラガリアツマル
ケイシヤウハクギヤウ人
ウンカクハテンジヤウ人
如来
ミヅノエサルノトシ
シヤウグワチナリ
浄土に
0465已上源空聖人
已上七高僧和讃 一百十七首
弥陀和讃・高僧和讃都合
二百二十五首
*宝治第二戊甲歳初月下旬第一日
釈親鸞七十六歳書之畢
見写人者必可唱南无阿弥陀仏
南无阿弥陀仏をとなふれば
ミダノクドクノキワナキコトヲウミノミズニタトフルナリ
かの
ナモワアミダブチトトナフレバミヤウガウニオサマレルクドクゼンゴンヲミナタマハルトシルベシ
ひとしく
ミヤウガウノクドクゼンゴンヲヨロヅノシユジヤウニアタウベシトナリ