高 僧 和 讃
◎浄0403土高僧和讃 愚禿親鸞作
註釈版の底本は◎龍谷大学蔵文明五年蓮如上人開版本(文明本)ˆ聖典全書上段ˇであるが、 対照のため○高田派専修寺蔵国宝本(国宝本)ˆ聖典全書中段ˇを収録した。 なお、 ●高田派専修寺蔵正応三年顕智上人書写本(顕智本)ˆ聖典全書下段ˇの左訓も適宜採録し、 灰色で示している。
龍樹菩薩 付釈文 十首
(1)
本師龍樹菩薩は
リウジユハキノモトニムマレテマシマシケルヲリウワウトリテヤシナイタリケリ ノチニナムテンヂクノ王ノコニナリタマヒケリ キノモトニムマレリウワウヤシナイタマヒケルニヨリテリウジユトナヅケタテマツルナリ
¬智度¼・¬十住毘婆娑¼等
つくりておほく西をほめ
すゝめて念仏せしめけり
(20404)
南天竺に比丘あらむ
コレヨリミナミウミノナカニリヨウガサンノヌシダイクヰワウアリ ダイジヨウノホフヲアイスルニヨリテシヤカニヨライワタラセタマヒテホフヲトイテキカセタマフツイデニワレニフメチノノチニイクイクラアリテリウジユヨニイデヽグヱダウヲブクスベシトカネテトキタマフ
龍樹菩薩となづくべし
有無の邪見を破すべしと
サダマラズ
世尊はかねてときたまふ
(3)
本師龍樹菩薩は
大乗无上の法をとき
歓喜地を証してぞ
クワンギヂハシヤウヂヤウジユノクラヰナリ
ミニヨロコブヲクワントイフ
コヽロニヨロコブヲキトイフ
ウベキモノヲエテムズトオモヒテヨロコブヲクワンギトイフ
ひとえに念仏すゝめける
(40405)
龍樹大士世にいでゝ
オホキナルヒトヽイフナリ
難易ふたつのみちをとき
カタシ
ナンハシヤウダウモン
ヤスシ
イハジヤウドモン
流転輪回のわれらおば
ウツル反
メグル反
メグル反カヘル反
サソラフ反ナガレ反
弘誓のふねにのせたまふ
(5)
本師龍樹菩薩の
おしへをつたへきかむひと
本願こゝろにかけしめて
つねに弥陀を称すべし
(60406)
不退のくらゐすみやかに
えむとおもはむひとはみな
恭敬の心に執持して
ツヽシミウヤマフ
トリタモツチラシウシナハズ反ヒトタビトリテナガクステヌニカク
«フサンフシチニナヅク»
«セウジヨウオバクヤウトイフ ダイジヨウオバクギヤウトイフ»
弥陀の名号称すべし
(7)
生死の苦海ほとりなし
ひさしくしづめるわれらおば
弥陀の弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける
(80407)
¬智度論¼にのたまはく
仏は无上法王なり
菩薩は法臣としたまひて
尊重すべきは世尊なり
(9)
一切菩薩のゝたまはく
われら因地にありしとき
ボムブニテアリシトキトイフ
无量劫をへめぐりて
万善諸行を修せしかど
ツクロウ反オコナウ反
(100408)
恩愛はなはだたちがたく
生死はなはだつきがたし
念仏三昧行じてぞ
罪障を滅し度脱せし
ワタリ反
マヌカル
已上龍樹菩薩
天親菩薩 付釈文 十首
(110409)
釈迦の教法おほけれど
天親菩薩はねむごろに
煩悩成就のわれらには
弥陀の弘誓をすゝめしむ
(12)
安養浄土の荘厳は
唯仏与仏の知見なり
究竟せること虚空にして
クキヤウオバキワメキワムオワリオワル
広大にして辺際なし
(130410)
本願力にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし
(14)
如来浄華の聖衆は
ジヤウケトイフハアミダノホトケニナリタマヒシトキノハナナリ コノハナニシヤウズルシユジヤウハドウイヰチニネムブチシテベチノミチナシトイフナリ
正覚のはなより化生して
衆生の願楽ことごとく
すみやかにとく満足す
ミチタル
(150411)
天・人不動の聖衆は
オゴク反ハタラク反
弘誓の智海より生ず
心業の功徳清浄にて
虚空のごとく差別なし
(16)
天親論主は一心に
无光に帰命して
本願力に乗ずれは
報土にいたるとのべたまふ
(170412)
尽十方の无光仏
一心に帰命するをこそ
天親論主のみことには
願作仏心とのべたまへ
(18)
願作仏の心はこれ
度衆生のこゝろなり
度衆生の心はこれ
利他真実の信心なり
(190413)
信心すなはち一心なり
一心すなはち金剛心
金剛心は菩提心
この心すなわち他力なり
(20)
願土にいたればすみやかに
グワンドハミダノホンゼイヒグワンノドナリ
无上涅槃を証してぞ
すなわち大悲をおこすなり
これを回向となづけたり
0414已上天親菩薩
曇鸞和尚 付釈文 三十四首
(21)
斉朝の曇鸞和尚は
菩提流支のおしえにて
仙経ながくやきすてゝ
浄土にふかく帰せしめり
(220415)
四論の講説さしおきて
ナラヒトク
本願他力をときたまふ
具縛の凡衆をみちびきて
グバクトイフハボムナウグソクノボムブトイフナリ
涅槃のかどにぞいらしめし
(23)
世俗の君子幸臨し
コクワウ
アルクナリ
勅して浄土のゆへをとふ
十方仏国浄土なり
なにゝよりてか西にある
(240416)
鸞師こたえてのたまはく
わがみは智慧あさくして
いまだ地位にいらざれば
フタイノクラヰニイタラズトナリ
念力ひとしくおよばれず
オモフチカラヨノジヤウドニハカナハズトナリ
(25)
一切道俗もろともに
帰すべきところぞさらになき
安楽勧帰のこゝろざし
巒師ひとりさだめたり
(260417)
魏の主勅して并州の
コクワウ
クニノナナリ
タウドノナヽリ
大巌寺にこそおはしけれ
ドムランノツクラセタマヒタルオムテラナリ
イワヤ
テラ
やうやくおはりにのぞみては
汾州にうつりたまひにき
クニノナナリ ネムブチノハンジヤウシタリケルトコロナリ
(27)
魏の天子はたふとみて
スベテコクワウオバテンシトマフスナリ
神巒とこそまふしけれ
ホメマイラスルコヽロナリ スベテメデタウマシマストイウフコヽロナリ
おはせしところのそのなおば
鸞公巌とぞなづけたる
(280418)
浄業さかりにすゝめつゝ
ジヤウドノゴフサカリニナリテハ
玄忠寺にそおはしけれ
ドムランノツクラセタマヒタルオムテラナリ ダウシヤクハランシノオムデシナリ コノテラニダウシヤクハツギテオハシマシケリ
魏の興和四年に
ヨノナヽリ
ネンガウナリ
遥山寺にこそうつりしか
(29)
六十有七ときいたり
浄土の往生とげたまふ
そのとき霊瑞不思議にて
レイズイハヤウヤウノメデタキコトノゲンジホトケモミヘナムトシタマフホドノコトナリ
一切道俗帰敬しき
オホセニシタガフヨリタノミマイラセテウヤマヒタテマツルナリ
(300419)
君子ひとへにたふとみて
勅宣くだしてたちまちに
汾州汾西秦陵の
クニノナヽリ
サトノナ
ツカノナ
コホリノナヽリ
勝地に霊廟たてたまふ
スグレタルトコロニドムランノミハカヲタテタリ
(31)
天親菩薩のみことおも
鸞師ときのべたまはずは
他力広大威徳の
心行いかでかさとらまし
シムオモギヤウオモイカデカシラマシトナリ
(320420)
本願円頓一乗は
ハチマンシヤウゲウノスベテスコシモカクルコトナキヲヱンドントマフスナリ
逆悪摂すと信知して
煩悩・菩提体无二と
フタツナシトナリ
ボムナウボダイモヒトツミゾトナリ
すみやかにとくさとらしむ
(33)
いつゝの不思議をとくなかに
仏法不思議にしくぞなき
仏法不思議といふことは
弥陀の弘願になづけたり
(340421)
弥陀の廻向成就して
往相・還相ふたつなり
ワウサウハコレヨリワウジヤウセサセムトオボシメスヱカウナリ
グヱンサウハジヤウドニマイリハテハフゲンノフルマイヲセサセテシユジヤウリヤクセサセムトヱカウシタマヘルナリ
これらの回向によりてこそ
心行ともにえしむなれ
(35)
往相の回向ととくことは
弥陀の方便ときいたり
悲願の信行えしむれば
生死すなはち涅槃なり
(360422)
還相の回向ととくことは
利他教化の果をえしめ
すなわち諸有に回入して
ジフパウノヨロズノシユジヤウナリ
普賢の徳を修するなり
フゲントイフハホトケノジヒノキワマリナリ
(37)
論主の一心ととけるおば
ロンジユトイフハテンジンボサチナリ
曇鸞大師のみことには
煩悩成就のわれらが
他力の信とのべたまふ
(380423)
尽十方の无光は
无明のやみをてらしつゝ
一念歓喜するひとを
かならず滅度にいたらしむ
(39)
无光の利益より
威徳広大の信をえて
かならず煩悩のこほりとけ
すなわち菩提のみづとなる
(400424)
罪障功徳の体となる
こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし
さわりおほきに徳おほし
アクゴフボムナウナリ
クドクトナル
(41)
名号不思議の海水は
逆謗の屍骸もとゞまらず
ハウボフ
ゴグヰヤク
シニカバネ
衆悪の万川帰しぬれば
ヨロヅノカハナリ
功徳のうしほに一味なり
(420425)
尽十方无光仏の
大慈大悲の願海に
煩悩の衆流帰しぬれば
モロモロ
サソフ反ナガル反
智慧のうしほと転ずなり
(43)
安楽仏国に生ずるは
畢竟成仏の道路にて
オワリ反オワル反
キワメ反キワム反
无上の方便なりければ
諸仏浄土をすゝめけり
(440426)
諸仏三業荘厳して
畢竟平等なることは
ビヤウドウハスベテモノニオイテヘダテナキコヽロナリ
衆生虚誑の身口意を
ムナシ
クルウ
アクゴフボムナウノコヽロナリ
治せんがためとのべたまふ
オサム反タスクルコヽロナリ
シヤス反シヤストイフハケチウシナウコヽロナリ
(45)
安楽仏国にいたるには
无上宝珠の名号と
ニヨイホウシユノタマナリ コノホウシユハニゴレルミヅニイルレバミヅハスメドモミサビヰズ スイシヤウハニゴリミヅニイルレバミサビヰル カルガユヘニスイシヤウオバマンギヤウマンゼンニタトヘホウシユオバミヤウガウニタトフ
真実信心ひとつにて
无別道故とときたまふ
(460427)
如来清浄本願の
无生の生なりけれは
ロクダウノシヤウヲハナレタルシヤウナリ
ロクダウシシヤウニムマルヽコトシンジチシンジムノヒトハナキユヘニムシヤウトイフ
本則三三の品なれど
モトハコヽノシナノシユジヤウナリ
一二もかはることぞなき
(47)
无光如来の名号と
かの光明智相とは
無明長夜の闇を破し
衆生の志願をみてたまふ
(480428)
不如実修行といえること
ジチノゴトクシユギヤウセズト
鸞師釈してのたまはく
一者信心あつからず
若存若亡するゆえに
ゴトシ
イキタルガゴトシ
ゾンゼルガゴトシ
シニタルガゴトシ
マウゼルガゴトシ
アルトキニハワウジヤウシテムズトオモヒアルトキニハワウジヤウハエセジトオモフヲニヤクゾンニヤクマウトイフナリ
(49)
二者信心一ならず
決定なきゆえなれば
サダメサダム
三者信心相続せず
アイツガズ
余念間故とのべたまふ
ヨノ
マジワルト
(500429)
三信展転相成す
カエ反 アヒジヤウズ反
カワル反
行者こゝろをとゞむべし
信心あつからざるゆへに
決定の信なかりけり
(51)
決定の信なきゆへに
念相続せざるなり
念相続せざるゆへ
決定の信をえざるなり
(520430)
決定の信をえざるゆへ
信心不淳とのべたまふ
アツカラザルナリ
如実修行相応は
信心ひとつにさだめたり
(53)
万行諸善の小路より
本願一実の大道に
帰入しぬれば涅槃の
さとりはすなわちひらくなり
(540431)
本師曇鸞大師おば
梁の天子蕭王は
ヨノナヽリ
セウ反
コクワウノオムナヽリ
コクワウナリ
おはせしかたにつねにむき
鸞菩薩とぞ礼しける
已上曇鸞和尚
道綽禅師 付釈文 七首
(550432)
本師道綽禅師は
ダウシヤクハネチハンシユヲガクセサセタマヒケルヲサシオキテヒトエニジヤウドニクヰシタマヒタリ
聖道万行さしおきて
唯有浄土一門を
タヾジヤウドノモンノミイルベキミチトイフ
通入すべきみちととく
(56)
本師道綽大師は
涅槃の広業さしおきて
本願他力をたのみつゝ
五濁の群生すゝめしむ
(570433)
末法五濁の衆生は
聖道の修行せしむとも
ひとりも証をえじとこそ
教主世尊はときたまへ
(58)
鸞師のおしへをうけつたへ
綽和尚はもろともに
在此起心立行は
コヽニアリテコヽロヲオコシギヤウヲタツルハ
此是自力とさだめたり
コレハコレジリキナリ
(590434)
濁世の起悪造罪は
アクヲオコシツミヲツクルコト
暴風駛雨にことならず
アラキカゼトキアメノゴトシトナリ
諸仏これらをあわれみて
すゝめて浄土に帰せしめり
(60)
一形悪をつくれども
専精にこゝろをかけしめて
モハラ
ヨク
つねに念仏せしむれば
諸障自然にのぞこりぬ
モロモロノサワリ
(610435)
縦令一生造悪の
タトヒ
衆生引接のためにとて
ミチビキトル トルトイフハテニトルコヽロナリ
称我名字と願じつゝ
若不生者とちかひけり
已上道綽大師
善導大師 付釈文 二十六首
(620436)
大心海より化してこそ
善導和尚とおはしけれ
末代濁世のためにとて
十方諸仏に証をこふ
カナウ反
クワンギヤウノギシヨツクラントテ十方シヨブチニシヨウヲコヒタマヒタリ
(63)
よよに善導いでたまひ
法照・少康としめしつゝ
功徳蔵をひらきてぞ
クラ
ミヤウガウヲクドクザウトマフスナリ ヨロズノゼンゴンヲアツメタルニヨリテナリ
諸仏の本意とげたまふ
(640437)
弥陀の名願によらざれは
百千万劫すぐれとも
いつゝのさわりはなれねば
女身をいかでか転ずべき
(65)
釈迦は要門ひらきつゝ
定散諸機をあわれみて
正雑二行方便し
ゴシユノシヤウギヤウゴシユノザフギヤウナリ
五ノシヤウギヤウトイフハライハイドクジユクワンザチシヨウミヤウサンダンクヤウロクシユトイフトキハサンダントクヤウヲフタツニスルナリ
ひとえに専修をすゝめしむ
(660438)
助正ならべて修するおば
ミダヰチブチノコトヲシユスルヲシヤウギヤウトイフ ヨブチヨゼンヲスルヲザフギヤウトイフ
すなわち雑修となづけたり
イツヽノシヤウギヤウノナカシヨウミヤウノホカ四オバジヨゴフニス タヾ一心ニシヨウミヤウスルヲ一向専修トマフスナリ
一心をえざるひとなれば
仏恩報ずるこゝろなし
(67)
仏号むねと修すれども
現世をいのる行者おば
これも雑修となづけてぞ
マジヘオコナフ
千中无一ときらはるゝ
センガナカニヒトリモムマレズトナリ ヱカムゼンジノシヤクニハマンブヰチシヤウトシヤクセラレタリ
(680439)
こゝろはひとつにあらねども
雑行雑修これにたり
ザフギヤウハヨロヅノギヤウ
ザフシユハゲンゼヲイノリ助業ヲシユスルヲイフナリ
浄土の行にあらぬおば
ひとえに雑修となづけしむ
(69)
善導大師証をこい
十方シヨブチニマフシタマハクコノクワンギヤウギヲツクリサフラウニシヨウニンニナリタマヘトイノラセタマヒタリ
定散二心をひるがへし
貪瞋二河の譬喩をとき
シンハイカリハラダツ
タトヒ
サトルトヨム
トムハメヲアイシオトコヲアイシ
弘願の信心守護せしむ
マモル
シユハタトエバクニノヌシトナリテマモル
マモル
ゴハクニノヌシナラネドモスベテアツマリテマモルナリ
(700440)
経道滅尽ときいたり
ブチポフメチジントキイタリマチポフマンネンノアヒダハタヾゴンケウアリテジチケウナシ マンネンノノチヒヤクネンミダノケウマシマスベシ
如来出世の本意なる
本願真宗にあひぬれば
マコトヲムネトス
ケニタイシテシントイフ 八万四千のホフモンハケモントス ジヤウドヰチシユヲシンモントス
凡夫念じてさとるなり
(71)
仏法力の不思議には
諸邪業繋さはらねば
モロモロノアクゴフニサワリナシ
弥陀の本弘誓願を
増上縁となづけたり
マサル
ヨロヅノゼンニマサレルニヨリテゾウジヤウエントイフナリ
(720441)
願力成就の報土には
自力の心行いたらねば
大小聖人みなながら
ダイジヨウノシヤウニン
シヤウジヨウノシヤウニン
如来の弘誓に乗ずべし
(73)
煩悩具足と信知して
本願力に乗ずれば
すなはち穢身すてはてゝ
ケガラワシキミ
法性常楽証せしむ
タノシミツネナリ
(740442)
釈迦・弥陀は慈悲の父母
種種に善巧方便して
われらが无上の信心を
発起せしめたまひけり
タチオコス
イマハジメテオコスヲキトイフ
ヒラキオコス
ムカシヨリアリシコトヲオコスヲホチトイフ
(75)
真心徹到するひとは
トオリイタルズイニイタリトオル
金剛の心なりければ
マコトノシンジムナリ
三品の懴悔するものと
上品ハマナコヨリチヲナガシミヨリチヲイダス
中品ハマナコヨリチヲナガシミヨリアセヲナガス
下品ハナミダヲナガシズイニコヽロガトオルヲイフ
ひとしと宗師はのたまへり
(760443)
五濁悪世のわれらこそ
金剛の信心ばかりにて
ながく生死をすてはてゝ
自然の浄土にいたるなれ
(77)
金剛堅固の信心の
シムノカタキヲケントイフ
コヽロノカタキヲコトイフナリ
さだまるときをまちえてぞ
弥陀の心光摂護して
オサメマモル
ムゲクワウニヨライノオムコヽロニオサメマモリタマフナリ
ながく生死をへだてけれ
(780444)
真実信心えざるおば
一心かけぬとおしへたり
一心かけたるひとはみな
三信具せずとおもふべし
(79)
利他の信楽うるひとは
願に相応するゆへに
教と仏語にしたがへば
外の雑縁さらになし
マジエミダル
(800445)
真宗念仏きゝえつゝ
一念无疑なるをこそ
ヰチネムモウタガヒナキヲホングワンヲウタガフコヽロナシトナリ
希有最勝人とほめ
マレナリ
スグレタリ反スグレテ反
モトモ反スグレタリ反
サイハモトモコトニスグレタリ
アリガタクスグレタルヨキヒトヽホムルコヽロナリ
正念をうとはさだめたれ
ワウジヤウノシンジムアルヲシヤウネムヲウトハイフ
(81)
本願相応せざるゆへ
雑縁きたりみだるなり
信心乱失するをこそ
正念うすとはのべたまへ
(820446)
信は願より生ずれば
ワレラシユジヤウノシンハミダノグワンヨリオコルナリ
念仏成仏自然なり
自然はすなわち報土なり
証大涅槃うたがはず
ダイネチハンヲサトラムコトウタガハズトナリ
(83)
五濁増のときいたり
疑謗のともがらおほくして
ウタガヒソシル
ウタガフモノソシルモノオホシトナリ
道俗ともにあひきらい
修するをみてはあだをなす
(840447)
本願毀滅のともがらは
ソシル
ホロボス
ソシルニトリテモワガスルホフハマサリマタヒトノスルホフハイヤシトイフヲクヰメチトイフナリ
生盲闡提となづけたり
シヤウマウハムマルヽヨリメシヰタルヲイフ
ブチポフニスベテシンナキヲセンダイトイフナリ
大地微塵劫をへて
コマカナルチリ
ウサギノケノマンサキニヰヒツジノケノマンサキニモヰルチリヲミヂントイフ ウサギヒツジノケヨリホキモノナシ
ªトモウヂンウサギノケ ヤウモウヂンヒツジノケº
ながく三塗にしづむなり
(85)
西路を指授せしかども
ニシノミチ オシヘサヅケシカドモ
自障障他せしほどに
ワガミヲサウルヲジシヤウトイフ
ヒトヲサウルヲシヤウタトイフナリ
曠劫已来もいたづらに
ハルカナルヨリコノカタトイフナリ
むなしくこそはすぎにけれ
(860448)
弘誓のちからをかぶらずは
いづれのときにか娑婆をいでむ
仏恩ふかくおもひつゝ
つねに弥陀を念すべし
(87)
娑婆永劫の苦をすてゝ
浄土无為を期すること
本師釈迦のちからなり
長時に慈恩を報ずべし
ツネニトイフナリ
0449已上善導大師
源信大師 付釈文 十首
(88)
源信和尚ののたまはく
われこれ故仏とあらはして
モトノホトケトイフ
化縁すでにつきぬれば
本土にかへるとしめしけり
(890450)
本師源信ねんごろに
一代仏教のそのなかに
念仏一門ひらきてぞ
濁世末代すゝめける
(90)
霊山聴衆とおはしける
源信僧都のおしえには
報化二土をおしえてぞ
ホウジンホウドクヱシンクヱドナリ
専雑の得失さだめたる
(910451)
本師源信和尚は
懐感法師の釈により
ヱカムゼンジノグンギロンニヨリテシヨギヤウワウジヤウノヤウヲアラハセリ
¬処胎経¼をひらきてぞ
ボサチシヨタイキヤウノニノマキケマンヘンヂノヤウヲトカレタルヲヒカレタリ
懈慢界おばあらはせる
(92)
専修のひとをほむるには
千无一失とおしえたり
センニヒトツモトガナシトナリ
雑修のひとをきらふには
万不一生とのべたまふ
(930452)
報の浄土の往生は
おほからずとぞあらわせる
化土にむまるゝ衆生おば
すくなからずとおしえたり
(94)
男女貴賎ことごとく
タウトキヒト
イヤシキヒト
弥陀の名号称するに
行住座臥をえらばれず
時処諸縁もさわりなし
(950453)
煩悩にまなこさえられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
モノウキコトヽイフハオコタリスツルコヽロナシトナリ
つねにわがみをてらすなり
(96)
弥陀の報土をねがふひと
外儀のすがたはことなりと
ホカノスガタ反ミノフルマイ反
ギヤウヂユザグワ 四ヰギノスガタハコトナレド
本願名号信受して
寤寐にわするゝことなかれ
ネテモサメテモ
(970454)
極悪深重の衆生は
他の方便さらになし
ヨノゼンヨノブチボサチノハウベンニテハシヤウジイデガタシトナリ
ひとえに弥陀を称してぞ
浄土にむまるとのべたまふ
已上源信大師
リヨウゴムヰンノウチニヱシムヰンノソウズノオムナヽリ ヱシムヰンハ御バウノナヽリ
源空聖人 付釈文 二十首
(980455)
本師源空よにいでゝ
弘願の一乗ひろめつゝ
日本一州ことごとく
浄土の機縁あらわれぬ
(99)
智慧光のちからより
本師源空あらわれて
浄土真宗をひらきつゝ
選択本願のべたまふ
(1000456)
善導・源信すゝむとも
本師源空ひろめずは
片州濁世のともがらは
カタガタノクニトイフ
いかでか真宗をさとらまし
(101)
曠劫多生のあひだにも
出離の強縁しらざりき
イデハナル ツヨイエン
本師源空いまさずは
このたびむなしくすぎなまし
(1020457)
源空三五のよわいにて
无常のことわりさとりつゝ
厭離の素懐をあらわして
イトヒ
モトノ
ハナル
オモヒ反コヽロ反
菩提のみちにぞいらしめし
(103)
源空智行の至徳には
聖道諸宗の師主も
シヤウニンノシヤウダウノオムシノチニハミナクヰシタテマツルナリ
みなもろともに帰せしめて
一心金剛の戒師とす
(1040458)
源空在世のそのときに
金色の光明はなたしむ
兼実博陸まのあたり
カネザネノセフシヤウクワンパクナリª月輪殿御法名円照º
拝見せしめたまひけり
ウヤマイミタテマツル
(105)
本師源空の本地おば
世俗のひとびとあひつたへ
ヨノナカノヒトヽイフ
綽和尚と称せしめ
ダウシヤクトモシメス
あるひは善導としめしけり
(1060459)
源空勢至と示現し
シメシアラハル
あるいは弥陀と顕現す
アラワルヽナリ
上皇・群臣尊敬し
京夷庶民欽仰す
ミヤコ
モロモロノタミ
ヰビス
ウヤマヒアフグナリ
(107)
承久の太上法皇は
後高倉院
本師源空を帰敬しき
釈門・儒林みなともに
ゾクガクシヤウ
ホフシガクシヤウ
ひとしく真宗をさとりけり
(1080460)
諸仏方便ときいたり
源空ひじりとしめしつゝ
グヱンクヒジリトシメシツヽトアソバシタルホンモアリ
无上の信心おしえてぞ
涅槃のかどをばひらきける
(109)
真の知識にあふことは
かたきがなかになほかたし
流転輪廻のきわなきは
疑情のさわりにしくぞなき
ウタガフコヽロ
(1100461)
源空光明はなたしめ
門徒につねにみせしめき
トモガラ
賢哲・愚夫もえらばれす
カシコクヨキヒト
オロカナルヒト
豪貴・鄙賎もへだてなし
ヨキヒト
イヤシクイヤシ
(111)
命終その期ちかづきて
本師源空のたまはく
往生みたびになりぬるに
このたびことにとげやすし
(1120462)
源空みづからのたまはく
霊山会上にありしとき
声聞僧にまじわりて
頭陀を行じて化度せしむ
(113)
粟散片州に誕生して
ムマルト
アワヲチラセルガゴトクナルクニナリ
念仏宗をひろめしむ
衆生化度のためにとて
この土にたびたびきたらしむ
(1140463)
阿弥陀如来化してこそ
本師源空としめしけり
化縁すでにつきぬれば
浄土にかへりたまひにき
(115)
本師源空のおわりには
光明紫雲のごとくなり
ヒカリムラサキノクモノゴトクナリ
音楽哀婉雅亮にて
アハレニスメルコヱニテ
異香みぎりに映芳す
カヾヤシキカウバシキナリ
(1160464)
道俗男女預参し
カネテ
マイル
卿上雲客群集す
ムラガリアツマル
ケイシヤウハクギヤウ人
ウンカクハテンジヤウ人
頭北面西右脇にて
如来涅槃の儀をまもる
(117)
本師源空命終時
建暦第二壬申歳
ミヅノエサルノトシ
初春下旬第五日
シヤウグワチナリ
浄土に還帰せしめけり
0465已上源空聖人
已上七高僧和讃 一百十七首
弥陀和讃・高僧和讃都合
二百二十五首
*宝治第二戊甲歳初月下旬第一日
釈親鸞七十六歳書之畢
見写人者必可唱南无阿弥陀仏
*(顕智本別尾3)
五濁悪世の衆生の
選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の
功徳は信者の身にみてり
118 国宝本に無し、 顕智上人本¬浄土和讃¼末尾の別和讃三首目より。
(1190466)
南无阿弥陀仏をとなふれば
衆善海水のごとくなり
ミダノクドクノキワナキコトヲウミノミズニタトフルナリ
かの清浄の善みにえたり
ナモワアミダブチトトナフレバミヤウガウニオサマレルクドクゼンゴンヲミナタマハルトシルベシ
ひとしく衆生に廻向せん
ミヤウガウノクドクゼンゴンヲヨロヅノシユジヤウニアタウベシトナリ