さみしくないか (8月1日)

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もう随分前になるのですが、6月末、『法然と親鸞』という舞台を観てきました。中村梅之助率いる前進座の公演です。

純粋に劇団の公演としてとらえた場合、「無難」な仕上がりとでも形容するのが妥当だろうと思います。浄土宗、真宗大谷派、浄土真宗本願寺派がバックアップしているものですから、冒険もできないでしょう。少なくとも、法然聖人や親鸞聖人がロックを踊り出すような舞台ではありませんでした。

しかしそれは冷めた話、浄土真宗の末流にみずからの根源をつなごうとしている者にとっては、新鮮な気づきや感動にあふれていました。

一番嬉しかったのは、内容や構成、演出意図などを離れたところで「お念仏の話」ですから、どうしても「ここで(観客席から)お念仏が出なきゃウソだろう!」というシーンがあるのです。とは言え周囲にどんな人がいらっしゃるのかわからず、私としては邪魔にならないよう(?)小声でナンマンダブと称えるのが精一杯だった中、たまたま隣だった方(私とあまり歳が変わらないように見受けられる女性)が、やはり小声で、気がついてみるとほとんどずっと、お念仏していらしたことでした。そのお念仏の声が、何よりだった。

その話はそれで置かせてもらって、何とも新鮮だったのは法然上人(中村梅之助)のお姿です。「愚者になりて」を体現なさっているかのような演技に、ただ惹きつけられました。台詞の間合い・呼吸がすごい。とぼけたというか人なつこいというか柔らかい言い回しの中に、要所要所でふっと引き込まれる凛とした言葉も混じり、「法然聖人とはこんな方だったのか!」と涙が出て来るくらい嬉しくなりました。もう一度お姿が見たかったのに、カーテンコールには出ていらっしゃらなくて、それが残念だったことです。

嵐圭史演じる親鸞聖人は、どうしても親鸞聖人その人に対する思い入れが強いため、基本的にはずっと ? でした。

合掌。

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