会う (8月18日)

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ここ一月近く、遊雲の顔を見ていません。

7月の後半にしばらくそばにいたあと、母親と付き添いを交代して、夏の法座や盆勤めといった法務に追われていました。盆が過ぎて多少時間に余裕はできたのですが、飛び飛びに抜けにくい用事があり、もうしばらく私が留守番です。

今、母(遊雲のおばあちゃん)が遊雲の顔を見に上京しています。まだ元気の残っているうちに遊雲の様子を見せておきたかったので、一つはほっとしました。その母からの連絡に、本人、気持ちは元気だけれど、からだはごまかしようなく弱ってきているねぇとのことでした。肺への転移以上に骨盤内の転移巣が広がっており、造血が間に合わなくてここのところ貧血気味と聞いています。

実のところ、遊雲の様子そのものが至って形容しにくいのです。私が直接目にしているのは一月ばかり前のことですのですでにずれがあるであろうことを断わらなくてはなりませんが、「元気」といってもどこか違い、かといって「元気がない」といえばさらに違う。

最初の入院でがん病棟「内」の住人になったとき、当初は入院なさっている方(癌研病院の「整形外科」で、子供はほとんどおらず成人が中心)がみなさん明るいのに驚きました。「君なんて人工関節だろ、足が残っているだけいいよ、俺はお尻からごそっと取られちゃってさぁ、便器に座ることすらできないんだぜ」などと隣の患者に言いながら残った片足で立つ練習に精を出しているおじさんがいらしたりで、あっけにとられたものです。

そのうちそんな空気にも慣れた頃、土・日は病棟の雰囲気が変わるのに気づくようになりました。「暗い」顔をしたお見舞いの方がうろうろなさるせいです。当人および家族が新しい現実を受け入れ、がんをも取り込んだ「日常」を過ごしている中に、がんという言葉に圧倒されて呆然としている見舞い客が紛れ込むと、どっちが病人なのかわからないような有様でした。(一歩病院の「外」に出ると、厳しい現実として状況は逆転するのですが。また、手術が「派手」な割りに直接生命に関係しない、整形外科ならではのことかもしれません。)

ある意味、遊雲の今の状況も似たところがあります。もともと、遊雲は力みが少なくて、状況が変化したとき気持ちがついていくのに遅れの少ない子です。つまり、遊雲はただ「当たり前」にしているだけなのに、からだがもう弱り始めていることもあって、私自身を含めそばにいる者の方がその当たり前についていけていないのでしょう。

そんな遊雲に、何をしてやればよいのだろう。何をしてやる必要があるのだろう。

ずっとそれを考えています。少しでも楽しい思いをさせてやりたいというのは確かにあり、現にディズニーランドにもディズニーシーにももう母親が連れて行きました。本人の楽しげな様子を聞くと、それだけでほっとします。

しかし、それだけでは何か足らない。微妙に決定的なところで、何かが食い違っている。

おそらく、ポイントは、遊雲にとっての当たり前に、そのまま当たり前に寄り添うことだろうと思います。言い換えるならば、遊雲を回復の望めない小児がん患者と扱うのではなく、ただ遊雲として出会えばよいということです。

そう思うようになってからは、離れていることそのものはそんなに苦にならなくなりました。もちろん、そばにいてやりたい、ちょっとした機会にいろんな話ができれば、という思いはいつもありますが、むしろそれは自己満足の気休めかもしれません。会うのは、いつでも、会える。今も私は遊雲に「出会って」います。

これはもう残り時間が限られていると覚語を決めなくてはならないなと観念したあと、しばらくの間は、遊雲が生きている間になんとしてでも伝えたいものがあるような気がして、それでカリカリしていました。一番大切なのは何なのだろう。どう伝えればよいのだろう。しかし次第に、それは結局のところ遊雲を変えようとすることであって、実は本当の課題からは目をそらしていることだと気づかされたのです。

たとえわが子といえども、遊雲を変える権利もなければ必要もない。人ごとではなくて私自身が、ただ遊雲に出会えばよいだけのことなのでした。

あの子は、何があろうと、大丈夫です。

合掌。

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