キャンプ (8月3日)
ここ数年、夏休みに、1,800 円で買った簡易テントをさげて、我が家の男3人でキャンプに行くのが恒例になっています。
通称「ぶらっと丸一日キャンプ」、食べるものなどはまったく準備せずテントと着替え他だけ車に放り込んで、前の日の夕方に出発してテントを張れそうな所を捜して一夜明かし、朝起きてから寝るまで丸一日遊んでもう一泊テントで過して、翌朝は目が覚めたらテントをたたんでそのまま帰ってくるという「2泊1日(?)」のキャンプです。
今年はお兄ちゃんが入院中で行けないので、想(末っ子、そう、小6)の同級生3人を誘って総勢5人で出かけてきました。
当初は山陰の海岸に行くつもりでいたのですが天候が崩れそうだったため、直前に瀬戸内に変更しました。目的地自体がはっきり決まっているわけではなく、一切合財「行き当たりばったり」なので私と想にとっては大したことではないとしても、他所の子も連れて行くのでちょっと神経質になりました。事情で出発したのが夜の 10:00 になってしまったので、結果的に好都合ではあったのですが。
テントを張れそうな場所に着いたのが 11:00 過ぎ、それから車のライトを頼りにテントの設営です。夜の間雨が降る確率が高かったので、私としても初めてのことながらまずタープを張って、その下にテントを張りました。小6の子供たちを指揮しての作業ですから、完成してこれで寝られるという状況になったときには 12:00 を回っていました。一応、仮にもテントを設営する以上、第一に水(増水・波・雨の場合の水たまりなど)に注意し、第二に風に気をつけることなど要点を説明してやりながらです。今回、雨は覚悟していたので水回りには気を配りましたが、風はないことを天気予報で確かめていたのでそちらは手を抜きました。それでも念のため車(いわゆるワンボックスの大きな車)を風除けに配置はしています。なお、テントは子供たち4人で一杯ですから、私は車中泊です。
朝、明るくなって周囲を確認してみると、丸一日遊ぶという点では申し分ないロケーションでした。問題は、水がないことです。ついでに言えばトイレもありませんが、小はもちろん大きい方も草むらの中で済ませてしまえばよいので致命的ではありません。水は結局、歩いて3分くらいのところの民家にお願いして準備していたポリタンクにもらって帰って対応しました。(と言っても、使ったのは顔や手を洗うときだけです。)想はいいとして他の3人が野グソに適応できるかちょっと心配でしたが、そこはそれ、大丈夫そうな友達に声をかけていたようで、みんな平気で用を済ましていて安心しました。
子供たちが起き出してきたら、後は一日遊ぶだけです。朝食と昼食は途中のコンビニで買い込んできたもので済ませます。バーベキューなど凝ったことは一切しません。子供たちに「死にさえしなければ夕方まで何をしてもよい。食糧はこれだけしかないから、暗くなるか、寒くなるか、お腹がすくかしたらその時点で夕食のことを考えよう」と伝えて、後はほったらかしです。
私はその間、浜の適当なところに尻を据えて、一応子供たちに目を配りながら(いちいちついては歩きませんから、見えるか見えないかくらい遠くまで行っていたこともあります)海と風を相手に一日過します。日陰のない浜だったので、あまり日差しが強くなくてし合わせました。それでも、何度か着の身着のまま海につかってからだを冷やす必要はありました。
これは後になって気づいたことなのですが、私は、子供たちを見張る「付き添い」ではなくて、子供たちが遊んでいるのを見て楽しんでいるのです。口は出さない。直接参加もしない。しかし、疲れて集中力が途切れてきた気配があれば適当な口実を作って休ませてやらないと事故につながります。実際、午後になって風が強くなって波で水が濁り始めてきたので、予定していたよりは早くに 16:00 頃切り上げて着替えさせました。礒浜ですから、水が濁ると水中で波に揉まれてあちこち怪我をしてしまいます。「なめときゃ治る」くらいの切り傷・擦り傷はみんな作っていました。大きな怪我があれば救急車を呼ぶつもりでカット絆だけしか準備していなかったのですが、それが必要だったのは、幸い(?、うちの子の)想だけでした。(膝を岩にぶつけて、そこそこ大きくえぐってしまった。)
夕食は、偶然やかんを見つけたので、浜で湯をわかして「お湯だけで食べられるもの」にしようということになりました。コンビニに買出しに出かけ、各自の好みのカップ麺と、「ゆで卵も作れるよね?」と言い出した子がいたので卵を買ってきて、浜に戻って焚き火です。湯を沸かすくらいのたきぎは拾ってくれば簡単に集められます。ふつうは新聞紙も持っていかず、最初に火をつけるのから「あったもの」で間に合わすのですが、今回は雨を警戒していたので(実際には結局降りませんでした)いろんなものを「乾かす」準備に新聞紙も持参していたので楽勝です。(火からおこしたことはありません。最初の最初は安直にライターです。)
(なお、浜で捨ててあった「炭」を一箱拾い、さらに焼肉用の金網まで捨ててあるのを見つけ、肉と野菜を買出しに行って焼肉をしたこと「も」あります。万事、行き当たりばったりで最大限楽しめることを工夫して過します。)
私と想は慣れていることですからそれほどでもなかったのですが、他の子達には新鮮だったようです。単にカップ麺なのですが、「拾ってきた(ふたのない)やかんで沸かした、砂や灰の混じっている湯」で作った特製のカップ麺であることは事実です。ゆで卵も問題なくできました。塩は海の水で代用です。
夜、暗くなってから、子供たちは花火をしました。私は上述の「近所の民家」のご主人と仲良くなってしまってそこで引き止められ、「夜の浜辺で焚き火の明かりを頼りに打ち上げ花火をしている(先生には言えないな)」小学生の子供たちを「ほったらかしにして(お母さんには言えないな)」、その時間お酒を飲んでいました。半分は気が気ではなかったのですが、一日遊んで勝手のわかっている浜、いきなり深くなっているわけでもなく、昼の間の様子からするに十分に信頼できる子達でしたから、ここは行き掛かり上「あの子達なら大丈夫」と信じることに徹しました。(翌朝そっと見てみたら、焚き火の後始末も花火の片付けも、完璧にしていた。)
楽しかった。
別にだれが見ているわけでもないのですが、あの子達四人が次から次へといろいろに遊んでいるのを見ていると、誇らしいような気持ちになりました。本当に上手に、時に退屈もしながら(実は、退屈する「つまらない時間」というのも遊ぶためには不可欠なのですが)遊んでいました。私は(時々)見ていただけです。
信頼「する」歓び。(彼等にそれがわかっているかどうかなどは問題ではなく)信頼「される」自由さ。
この私を、如来様はただ見守ってくださっているんだろうな。「歓んで」見守ってくださっているんだろうな。精一杯、遊ぼう。精一杯、迷おう。心底、そう思いました。
合掌。
開く (8月24日)
遊雲の「次の治療方針」が決まりました。
現在、膝の裏に出た転移の手術が5月に終わった後、2度にわたる抗がん剤の治療を終えたところです。組み合わせる薬(I: イフォマイド、C: カルボプラチン、E: エトポシド)の頭文字をとって ICE と呼ばれるもので、単に「転移を警戒して」というよりは一歩踏み込み、転移は(検査にかからないだけで)あるものとみなした上でのかなり強力な化療です。しかしこの薬だけで根治を期待できるものではなく、爆発的に増殖するのを抑えつつ転移の兆候が検査にかかるのを待つ、「つなぎの様子見」とでもいった位置づけの治療でした。
その治療が一段落したところで、現在まだ転移の兆候はとらえられていません。そのこと自体は喜ぶべきことながら、治療の上では「次に何をするか」が決めにくい、ある種皮肉で宙ぶらりんなところに立たされています。
状況を整理するならば、選択肢は三っつになります。
第一に、このままで一旦治療を中止し、「経過観察」に徹するという選択があります。簡単に言えば必要になるまで何もしない、ということです。本人の負担が一番少ないというのが何よりメリットながら(2回の ICE が効いてがん細胞が消えている可能性もないわけではない)、ICE で抑えられていたものが、薬を止めたことでうわっと勢いづくおそれもあります。実際、最初の手術後一年続いた化療が終わったあと、半年を待たずに転移が出たことを思うと、やはりいささかリスクが高すぎるでしょうか。
二つ目は、これまでと同じ ICE の化療をしながら様子を見続けるというものです。相手のしっぽがつかまえられればそれだけ的確な治療の方針が立てられますから一番無難ではありますが、「本命」の治療はそれだけ遅れるわけで、手探り状態が続く分、入院期間ほかもはっきりできません。また、ICE そのものがきりなく続けることはできない化療である以上、当事者にとっては「時間稼ぎ」といった(ネガティブな)印象もぬぐえません。
最後が、転移の兆候がつかめていないという意味では時期尚早であることを承知で、転移手術後の化療としては(「治す」ことを意図する限り)「本命」と言える「幹細胞移植を前提にした超大量化学療法」に踏み出すことです。これはいわば「最終兵器」ですから、大雑把な話として、この治療が終ればもうすること(できること)はありません。ですから(あらたに問題が出てこない限り)退院までの日程なども具体的に計算することができるようになります。しかし相手が見えない状況で見切り発車的に取り掛かる以上効き具合を客観的に確かめる術がありませんし、本命と言えども効果が保証されているわけではないので、不要に本人に負担を強いることになるだけかもしれない。
遊雲の現状が白――がん細胞は消えている――か黒――転移の兆候がつかまえられている――かはっきりしているならば、何を選ぶべきかある程度はっきりしているのですが、見事に灰色としか言いようのないのがやっかいです。また、(どちらをより積極的ととらえるかには無関係に)「待つ」か「進む」かで区別するというのも微妙にスタンスの取り方がずれているはずです。一見投げやりに見えて、「どれを選んでも結局は同じ」といった感覚こそが実状を一番正確に見ていることになるのではないか。
この時点で、合理的(積極的、主体的、…)に「よりよいもの」を選び取るという態度では立ちすくむしかありません。直面している状況が「灰色」である以上、そもそも正解などない。それが大前提です。
そんな思いで気持ちの整理をしていると、核心はむしろ、何を怖がっているかの方にあるのではないかという気がしてきました。当たりをはずして貧乏くじを引いてしまうこと。治療の副作用。子供に不要なつらい思いをさせること。考えてみるといろんな「怖い」ものがあります。
私個人は、(うまく言えないのですが、少なくとも私には、医療技術の現状なども素人なりに漠然と視野に入れた上で)一番無理が少なく感じられるという理由で、三番目が順当だろうという気でいました。本来そんなに気の短い方ではなく、待つのは苦になりませんし、「何もせずにいる」というのはむしろ大好きですから、「進む(戦う、前向きになる)」ことを選んだというのではありません。しかしもう一つ歯切れが悪く――選ぶ根拠が弱く――感じられていたのも事実です。
当の遊雲は、私とはまた違うところに立って、ほとんどあっさりその「幹細胞移植を前提とした超大量化学療法」を選びました。あるいは、選んだというより「そうするのが当たり前でしょ?」といった至って自然な感じだったと言う方が近いかもしれません。
多少なり誇張しているだろうことは見逃していただくとして、遊雲は決定的なところで状況に任せてしまっています。言い方を変えると、やむを得ないと思っていることについては何も怖がらずにそのまま受け入れている。
そう言えば、治療計画を話し合うカンファレンスの席で、これまでの治療を振り返る話の中、担当の先生が ICE を「(幹細胞の)移植抜きでは現時点で最強・最善の化療」という説明をなさったとき、「それに副作用も少ないですものね」と返答したのにはいささか度肝を抜かれました。さすがの私も付き添いながらうろたえた、あの ICE の副作用をです。
超大量化学療法では本人の免疫系が回復不能なダメージを受けますから、無菌環境が前提です。前後を含めると3週間の見当、無菌室に閉じこめられることになります。(覚悟していたほど大げさなものではなく、準無菌室でよいらしいのですが。付き添いも、通常よりは小まめに手を洗うという程度の違いですむようです。) 副作用も、これまでの吐き気に加えて、口内炎や下痢など粘膜への損傷があり得るらしい。それを聞いてなお、遊雲は怖がらないばかりか嫌がってさえもいないようでした。
あの子はおそらく、一番「楽しそうな」ものを選んだのに違いない。
ここのところ、単にばたばたしていて時間が取りにくかっただけでなく、自分の味わっているものをうまく表現する言葉がみつからなくて、しばらく記事が書けずにいました。たとえば、上の方で書いた「どれを選んでも結局は同じ」という言い回しも、本当はものすごく明るくて気楽な気持ちを込めたいのですが、どうもそうは響いてくれない。それが単に私の表現力ないし味わいの足らないせいなのか、あるいは「わからない」ことに対する抵抗力が極端に低い時代の風潮のようなものに逆らうせいなのかは、よくわからないのですが。
今回、遊雲の様子を見ていて、私自身が一つ大きなヒントをつかめたように思います。わからないものに対しては、ただ開いてうち任せればよい。そこに「楽しい」ものがおのずと立ち顕れてくる。何かを伝えようとするから伝わらない、根拠を求めるから歯切れが悪くなる、要はただひたすら楽しめばよい――。
仏法不可思議とは、そういうことなのでしょう。
合掌。