流れ (11月3日)
子供の頃大好きだった遊びに、川の流れをつけかえる、というのがあります。
寺から 150 m くらい下ったところを、渋川(しぶかわ)という川が流れています。山口県では最長である錦川の上流(の支流)です。川幅は川原を入れてもせいぜい 15 m といったところで、大雨の後を除けば、深い淵になっているところでなければいくらでも歩いて渡れます。
ちょうど寺から真っ直ぐ下りたあたりに農業用水の取水用の堰があって、その下手は流れが細くなり、残りは石川原になっています。この川原で、よく新しい川筋を作って遊んだものでした。
まず、大雑把にどこに流すか見当をつけます。小学生の子供が手だけで作業をするのですから、あんまり高いところや、手に負えそうのないないほど大きな石のあるところは避けて、しかもできれば今ある川筋からはできるだけ離れたところに、実際に水が流れている様子を想像するのです。
それが決まったら、後はひたすら石をどけていきます。通常で、小学生の男の子数人がかりで2日程度、一番大きなことをしたときにはほとんど夏休み中かかってやっと完了したくらいですから、遊びとはいえそれなりに大掛かりでした。
最初(まだ、年上のお兄ちゃんたちにくっついて遊んでいた頃)は、作った水路にちゃんと水が流れるようになるだけで充分面白かったのですが、順送りで私の格付けが上って来るに従い、川の流れそのものを変えてみたいと思うようになりました。
川原といっても勾配がかなりあるので、実際に流れている川より深い水路を作るのは重機でも持ってこない限り無理です。子供に思いつけることといったら、せいぜい古い流れを堰き止めてしまうことでした。新しく作った水路の「入口」のそばで、昔の流れを止めようとするのですが、一度、捨ててあった自動車のシートのスポンジを使って「強引に」やったときを除いて、何しろ堰き止める材料が石ですからすき間から水が逃げてしまい、作った水路の流量を増やすことはできても、その方法で新しい水路を「主流」にすることはできませんでした。
ある時、偶然、作った水路の入口のそばで強引に堰き止めるのではなくて、もう少し上流で「水の力」の向きを変えてやると思いがけない効果があるのに気付きました。川の流れといっても一様ではなくて「背骨」のような部分があるのですが、そこにしっかり大きな石(子供が2人がかりでやっと動かせるくらいのもの)を置いて一度力を分散し、散った力を、作った水路の入口あたりで焦点を結ぶように集め直してやるのです。
これは面白かった。うまくいくと、一晩寝て次の日に行ってみたときには、手作業で掘った水路が元の面影がないくらいに水の力で掘り直されてしまっているほど、「本流」を変えることができました。
寒くなり始めてきた頃に水遊びの話をするのはほかでもありません。
今、歴史の流れが変わり始めているように感じられるのです。
おそらく、だれをもってしても一個人(ないし特定の一集団)が歴史を「作る」ことはできない。が、だれでも捨石になることはできる。捨石の本領は、決して目立たないこと、文字通り「捨てられて」あることです。自らをたてようとする行動は、当人の意に反して、トータルに見たとき思いがけないところに力を集めてしまいます。現在「テロ」と総称されている出来事は、実はこの望ましくないところに結んでしまっている力の(虚)焦点なのではないか。
今回は合法(最後をご法義の「味わい」に引きつけて締めくくること)も見送り、意図してぶっきらぼうなままにしておきます。
地名 (11月9日)
一週間、毎日宇部(うべ)まで通いました。
子供が、術後の化療(小児がんの手術が終わったあと、転移を警戒して継続する抗がん剤の投与。手術後約一年、二ヶ月弱ごとに続く)で山大病院に入院していたためです。(なお、昨日退院し、今日から学校に通っています。)
宇部には叔母がおり、これまでもよく行き来はしていました。距離をきちんと確かめたのは今回が初めてなのですが、家から一口 80 km、所要時間は大雑把に2時間弱、といった位置関係になります。
これまで、防府(ほうふ)・宇部方面へ行くときには、中国自動車道を鹿野(かの)から徳地(とくじ)まで一区間利用して、後は一般道というのがふつうでした。しかし往復で 1,200 円というのがこたえるため、いろんな経路を試してみました。
時間的に最短になるのは、高速を鹿野から小郡(おごおり)まで使い、国道9号と2号を8km ばかり走って、山口宇部有料道路に入る経路です。今回きちんと確かめてはいないので不正確ながら、1時間強、経費片道 1,850 円です。これまでふつうに使っていた一区間だけ高速を利用してあとは一般道というのならば、時間帯にもよりますが1時間半前後で 600 円といったところです。
一方、アホみたいに遠回り(だと思い込んでいた)のが、一度新南陽に向かって瀬戸内に出て、それからずっと海沿いに2号線をたどる経路です。しかしきちんと確かめてみたら、距離は 10 km 弱しか違いませんでした。時間は2時間前後というところです。
結局、最終的に落ち着いたのは、高速を使う代わりにその区間を山道を伝う経路です。対向車があれば最悪バックする必要がありますし、夜はクマと出会いそうな(タヌキ・イタチは当たり前に横切る)道ですが、時間は高速を利用したのと 10 分程度しか変わりません。これで 600 円浮くのならば話は決まりです。
宇部は瀬戸内海へ出っ張った準半島の先のような位置にあるため、いずれにしても2号線からそれて、国道 190 号を使うことになります。(上述の山口宇部有料道路は 190 号のバイパスです。) 実は、これまでの感覚では「2号線から宇部方面へそれるところ」と「宇部そのもの」とがほとんど重なっていたことに初めて気がつきました。宇部への入口(正確には分岐点)と宇部が重なって、意識の中ではほとんど一点だったのです。
実際には、ここが 20 km あります。毎日通ううち、点が次第に広がって場所としてのリアリティをもち初め、それに伴ってそれまでほとんど意識に上らなかった地名をたくさん覚えました。通勤時間と重なると混むところ。(裏道もみつけました。) 自動車時代になってから新しく開けたのだろうなあと感じられるやたらモダンなところ。古い街道の匂いの残るところ。
そうするうちに、地名という名前の不思議さを思うようになりました。これは「もの」の名前とは決定的に違う。
便宜的に、「境界(輪郭線)」はあります。しかし行政上の必要を別にすれば、実際に生活する(私の場合は通過しているだけですが)上で、地名は境界によって意識されるのではなくて、ある風景であり、むしろその風景のはらむ求心力のような肌触りの呼び名です。あるいは、風景そのものの持つ呼び声なのかもしれません。
宇部(の海岸線)には「波」のつく地名が多い。というか、「きわ(岐波)」がやたらに目につくのです。常盤(ときわ)もおそらく元は波のつながりでしょう。しまいには「キワ・ラ・ビーチ」などというのまであります。
お浄土とは、このような意味で「地名」なのだと納得しました。モノの名前のように思ってしまうと、おそらく浄土は見つからない。ある風景の、懐かしさの、呼び声がお浄土なのでした。
合掌。
とげ (11月15日)
外の仕事をしていると、体中傷が絶えません。
ただスギゴケの手入れをしているだけでも思わぬところにひっかき傷や擦り傷ができるのですが、今年は台風の後片付けに栗の木を随分触るので、とげに苦労しています。
先日は折れた柚子(ゆず)の木を片付けていて、柚子のとげで踏み抜きをしました。柚子のとげは金属並みといってよいくらいに硬くまた長いのですが、ゴム長靴の底を貫いて左足の土踏まずにグサッとたってしまった。ちょっと高いところから半分飛び降りるような格好で足をついたら、そこに枯れて目立たなくなっていた古い枝が落ちていて、狙ったように体重をかけるはめになったのです。痛いのですが、右足がまだ中途半端なところにあってそちらに体重を移すわけにもいかず、何とも身動きのしようのない姿勢で張りついてしまいました。必死でどういう順番で姿勢を変えたらよいか考え(考えている間も痛い!)、何とか腰をおろして抜きにかかったものの、とげだけが少し根元を残して折れてしまっていて簡単には抜けません。長靴を脱ぎかけてもみたのですが、足が長靴に「ピン止め」されているので脱ぐわけにもいかない。泣きたいような笑い出したいような状況の中、手元にあった鎌の刃を噛ませてこじって、やっと解放されました。
2cm 見当突き刺さっていたと思うのですが、足の裏でよかった。血も出ていませんでした。
というか、その場で抜けるとげはまあそれだけのことです。指先の小さなとげなどでも、神経にさわるようであれば作業を中断して家に帰って抜きます。(刃物を使っている最中にチクッとくると、手元が狂って怪我をしかねません。)いずれにしても、抜けるとげはいい。
やっかいなのは、そのときは気がつかなくて、一日くらいたってから痛み始めるものです。今、ライターを摺るときにちょうど当る右手の親指の腹に一つと、庭の落ち葉を拾ったり小さな草をつまんだりするときに地面に触る位置になる左手の中指の関節の出っ張ったところに二つ、何ともいらだたしいとげが残っています。虫眼鏡で見ればかろうじて黒い点のように見えるものの、目だけではほとんど見えません。四六時中チクチクするようなら針でほじってでも抜きますが、そもそもよく見えないのでそこまでするのもおっくうです。
放っておけば、ものによってはそのうち化膿して、膿は皮膚を溶かす作用があるのでいずれ外に通じて、最終的に出てしまいます。(今左手中指の一つは化膿し始めている。)そうでなければ、知らない間に治って(痛まなくなって)くれる。試しに右手を観察してみたら、痛くなかったので気がつかなかったものも含め、ぱっと見にざっと十くらい、そんなとげの名残があります。
思えばとげも不思議です。大きくても大したことのないもの、小さくても気に障るもの。あるいは気さえつかずに通り過しているもの。単なる切り傷と比べて、「異物」が入るわけですから、よりやっかいであることは確かなのですが。
私たちが日々経験する出来事のうち、痛みを伴うものも、ほっときゃ治る派手なだけの切り傷あり、抜き差しならないように見えて抜いてしまえば終わりの大げさなとげあり、神経に障り続ける小さなとげあり、そして時間が経ってから痛み始めるものまであって、怪我と似ているようです。
アコヤガイは、体内に入った異物を自らの分泌物で幾層にもくるんで、真珠にする。当の貝にとっては真珠といったところで有難くはないのでしょうが、外から見るものにとっては宝にもなる。
私の手のとげは、真珠になりそうな気配はありません。しかし私の口からこぼれるお念仏は、どんなに逆立ちしても私のものではない。せめてこの「異物」を私の味わいでくるんで、如来の利他のおはたらきの証と残したいものです。私にはある意味、なんともやっかいで荷の重い異物(=他力)なのですが。
合掌。
相続 (11月27日)
報恩講(親鸞聖人のご法事。真宗寺院にとって一番重要な法座)を終え、今「お取り越し」の最中です。
私は「お取り越し」を、寺院での報恩講に引き続いて、住職がご門徒各戸を回り、各戸で営む「ミニ」報恩講のように受け止めていたのですが、念のために調べてみたら、「浄土真宗の末寺や信徒が、親鸞(しんらん)上人の命日(陰暦11月28日〈注:新暦1月16日〉に本山で行われる報恩講と重ならないように、一月繰り上げて陰暦10月に行う報恩講(三省堂『大辞林』)」とありました。知りませんでした。
いずれにせよ、お盆とお取り越しと、長久寺では年に二回、ご門徒の各戸を回ってお勤め(読経)をしているわけです。
お勤めが終わった後、しばらくお茶を頂きながら世間話をします。本来ならばご法話をさせていただくのが筋なのかもしれませんが、まあ、そのあたりはあまり窮屈に考えても回りません。
そんな中、いろんな「いい話」を聞かせていただくことがあります。
おじいさんを、20 年近く自宅でお世話なさっていた方の子供さんがみなさん家庭をお持ちになり、だれも親の苦労を知っているため里を大切になさっておいでで、小さいお孫さんがみんなそろってお仏壇に親しんでいるという話。老人ホームの(痴呆の進んだ)お母様が、夕方になると必ず駐車場の見えるホールで息子の訪問を待ちわびていらっしゃる様子を、「あんなにされたら、顔を出さん訳にはいかんでしょう」とどこか嬉しそうにお話くださるご主人。
そんなことを通じて、「相続」ということを思いました。
相続とは、財産に限らず、いろんなものが受け継がれ引き継がれていくという意味です。浄土真宗では特に、ご信心いただいたその「一念」が、事後の報恩生活へと続いていくことを指します。
ともすれば「個人」を表に出し、「主体的な選択」を尊重する現代ですが、個人でどれだけのものが支えられるのか。気がついてみれば巻き込まれていたもの、眼に焼きつくなどというよりは体に染み込んで引き継いで「いた」もの、それがいかほど大きいのかをもっと味わってみてもよいように思います。
報恩講は直接には親鸞聖人のご法事ですが、究極的には阿弥陀如来からいただいているご恩への報謝です。ただ、阿弥陀如来のご恩を、親鸞聖人の「お歓び」を通してでなければ相続することのできなかった私たちの実際があるだけです。
「本願寺」ができて以来、800 年近くにわたって相続されてきた報恩講の重さを、あらためてかみ締めています。
合掌。