子ども (8月23日)
この一月強というもの、何だか気持ちの上では空白です。自分で安心・納得できるような営みが、ほとんどできていません。
7月に行事が続き、それが一段落したところで一度気持ちの糸が切れました。そのまま遊雲(次子)の術後の経過観察および化療の入院に連なり、母親が付き添ったため家は私と想(末っ子)の二人で、ある種独特な開放感を伴う非日常に甘えて過ごしてしまいました。そして盆に入ると盆勤めで表向きの活動があったため、肝心な精神生活には目をつむって、今日は仕事をしたと立ち上がるのをさぼっていました。
気持ちのだらしなさのせいか、一気に 5 kg も太ってあわてています。私は体重はあまり動かない質で、量はそんなに食べませんが夏バテなどには縁がなく、通常は増えも減りもしません。こんなに短期で変動したのは初めてです。正直からだが重いので元に戻したいのですが、時間がかかりそうです。
のっぺりとした日常に埋もれてしまうと、気がついてみればただ時間だけが経っています。一月前の頃と昨日とが、自分の内で区別できません。
その点、子どもの成長はおそろしい。夏休みに入った頃と今とで、違っているのがわかります。遊雲には入院も含めた 2 週間の東京生活があり、想も7月末から9泊10日のキャンプに行っているのですから、それだけ成長して不思議はないのですが。
思えば私自身 20 代の半ば頃までは、特に何もしていなくても大きな内的な出来事が、一週間に二つくらいはありました。それが努力して求めないとなくなり始めたのが 30 前、背伸びをし続けることに疲れてむしろ立ち止まってみようと開き直った 30 代、そしてそのような中で、自分が努力するというのと逆に、生かされていることにおいて出会える喜びのようなものに触れられ始めた 40 代と歳を重ねてきたことになります。
長女が生れたとき、文字通り 「寝ているだけ」 で翌朝には成長していることに、猛烈に嫉妬したこともあります。今 50 を前に、その頃とは違う時間が私を流れています。あるいは、違う歴史を私の毎日がつむいでいます。それをどのように受け止めていけばよいのか。
今回の 「空白」 の時間は、必然的であり、またある意味では意図的でもありました。そろそろ、生命力で充実しているだけの毎日とは違った種類の日常を生きる工夫を、具体的に形にしてもよい歳でしょう。
今、不確定性ということを考えています。
子どもの間は、不確定性とは可能性と同義で、まぶしく輝く 「善きもの」 であり、親しい友人の顔をしています。しかし歳を重ねていく過程のどこかで、気がついてみれば不確定性が 「死」 というよそよそしい顔を見せ始めます。
生きること、生存することが大きな課題であった時代と比べ、現代は不確定性の見えにくい時代です。不気味な不確定性に代って、コントロールされ演出されたさまざまなイベントが、退屈な日常へ対置されています。より正確に言えば、毎日の日暮らしが不確実性から疎外されて本来の 「生命の営み」 としての地味な躍動感を失っていることが根底にあり、それを補完したいという動機は常にあるものの、同時に不確定性の不気味さも根源的に避けているため、何をしてもイベントにとどまってしまうというあたりが実状でしょう。
今オリンピックの最中で、見ていると確かに感動するのですが、静かに皺を刻んでこられた田舎のお年寄りの姿に 「共振」 できたときの気持ちの動きとは違うものです。私自身がそれをイベントとして消費してしまうだけであるならば、オリンピックも見ない方が健全かもしれません。
本来、〈いのち〉 は不確定性と対でとらえるべきものでしょう。〈いのち〉 は常に不確定性への対処の具体化であるととらえてもよいですし、もっと大胆に、〈いのち〉 が姿を現したとき不確定性が生れたとみることさえできます。
不確定性とどのように寄り添い、内面化するか。私たちは一生物として、すでに常に不確定性と共存しています。そこだけが問題となっているのが、子どもの頃のあの明るいいのちの輝きでしょう。しかし人間が 「意識(心、精神、理性、…)」 をもっている以上、単に生物としての次元だけにとどまらない不確定性の内面化が避けられません。
生物としての次元で成熟し老い始めることが、そのまま意識の次元に投影されたのではさみしい。生物としてのいのち、若さの漲りに振り回されなくてすみ始めたところに、「人間」 ならではの不確定性との出会いがあるはずです。そこで私たちはあらたに子どもとして位置づけられる。
浄土教では、如来の慈悲をよく親の恩に喩えます。社会における家族関係を投影したものとしてではなく、いのち本来の姿――不確定性の自己内面化――のアナロジーとして、味わいたいものです。
合掌。