わたしの正体
わたしとは一体何か。
いのちのおしえの核心部分を紹介し終ったので、これからいのちのおしえに照らしていろんなことを見つめてみます。まず最初に「わたし」です。自己実現などといったプラス(?)方向の話ではなく、ここでは迷い苦しむ当のものといった、批判し乗り越えるべきものとしてとらえます。
先に結論を言っておくと、わたしとは死ねないものです。
現代日本人の一般的な心性は、仏教的というよりは現代風の生活を通じて知らず作り上げられてきた西洋近代的なものでしょう。しかし面白いのは、西洋的な発想においても仏教的な感覚においても、わたしとは死ねないものであるという点は変わりません。ですのでそれぞれの観点から、二重に「死ねない」様を記述し、そんな「わたし」がいのちのおしえにおいてどう位置づけられるかを紹介したいと思います。
先に、おそらくこちらの方がより身近でしょうから、西洋近代的なわたしの姿から見ていきましょう。
近代的自我というとかならず引き合いに出されるのが*デカルト(1596~1650)です。有名な「
* フランスの哲学者・数学者・自然学者。近代哲学の父。明晰・判明なるものに至る分析とそこからの総合という近代科学の方法を開示し、物質の延長と運動のみによる全自然現象の説明を企てるとともに、一切を疑うことから始める方法的懐疑のもとに「思惟する我」を疑うべからざる存在として、徹底した物心二元論の哲学を展開した。この過程で解析幾何学の創始、慣性の法則、屈折の法則の発見にも至っている。哲学論文『方法叙説』『省察』『情念論』など。
どこがどう問題にできるかというと、まずコギトすなわち(合理的な)思考に無条件の信頼が置かれていることです。思考はそれ自体具体的な事物とはかけ離れた出来事で、見たり触ったりすることができません。ですから思考を偏重することは、自動的に精神と物質、あるいは内面と外面、主観と客観といった区別を産み出してしまうのです。それが行き過ぎてしまうことも当然あり、これまですでに、こころのあり方について「内面」とは異なるとらえ方をして話を進めてきています。
次にこの項での話題により深く関連することとして、*スムすなわち存在においてわたしが定位されていることです。これはいのちのおしえに立つからこそ指摘できる点になりますが、存在は言語-論理的な世界において浮かび上がるもので、現実世界と異なり本来無時間的なのです。「わたし」がひとたび合理的な思考の主体として「在る」ととらえられると、そのわたしは死ぬことができません。死ぬ必要のないわたしが、老病死の内にある身体に縛りつけられている。それは不合理だ。このように「わたし」をどこか自分の身体とは独立した何かのようにイメージする限り、根深く西洋近代的な自我観にとらわれていることになります。
* フランス語で sui、英語で am に相当する、ラテン語存在動詞の一人称単数現在形 sum。
ところで、西洋近代的な自我観であるとか自我の肥大とか聞くと、日本における近代化の早い時点であまりにも急いで西洋的なものを取り入れたのはまずかったとしても、どこか、日本はむしろ被害者で、悪いのは西洋的な思考法であるかのように考えている日本人が少なくありません。ところがこれにはかなり事実誤認があって、キリスト教的な制約の弱い日本という環境においてこそ、抑制なく(西洋的な)自我が育っていったという面もあるのです。たとえば、大量生産・大量消費という経済スタイルを産み出したのはアメリカですが、多品種少量生産を旗印に、1980年代からしばらく日本的な発想が新たな市場を開拓し、世界の消費活動を牽引した時期があります。日本は被害者などではなく、主犯級の一人なのです。
生まれは西洋であるにしても、今では事実上世界基準になっている近代的な自我は、本来死ねない。やっかいなことです。
続いて、仏教的な「わたし」の姿も確認しておきましょう。原則として仏教は無我の立場ですから、実我は否定します。しかしそういう看板としての教理とはまた違うところで、わたしのしたたかな持続性が語られます。要するに輪廻転生です。しかし輪廻では少しとらえどころがなく、仏教内でも立場立場で位置づけ自体が大きく違いますので、輪廻の原因である業で考えます。
もし、自分が一貫して自分であると感じられなくなったら、生存に関わる大問題です。そういう病理的な面を除外したとしても、本気で「昨日の自分と今日の自分は別人だ」と主張する人があれば、社会秩序は目茶苦茶になります。実際、*カント(1724~1804)は道徳が成り立つための根拠として魂の不死を要請しているのです。
* ドイツの哲学者。科学的認識の成立根拠を吟味し、認識は対象の模写ではなく、主観(意識一般)が感覚の所与を秩序づけることによって成立することを主張、超経験的なもの(不滅の霊魂・自由意志・神など)は科学的認識の対象ではなく、信仰の対象であるとし、伝統的形而上学を否定し、道徳の学として形而上学を意義づけた。著書に『純粋理性批判』『実践理性批判』『道徳形而上学原論』『判断力批判』など。
仏教で言う業も、主眼はそこにあります。直接教理の表には出てきませんが、自業自得、みずからの行いの報いをみずから受けるという大原則はほとんど自明なこととして仏教の根幹を支えています。ただ、仏教の最終目的は自己へのとらわれを離れることです。そのためには業を浄めていかなくてはなりません。
業 karman(カルマン)とは行為の意味で、本来は善悪に対して中立です。
それを象徴的に表しているのが地獄です。*源信和尚(942~1017)の『往生要集』には冒頭に生々しい地獄の描写があるのですが、八つある大地獄のうち、一番程度の軽いものを等活地獄と言います。等活の等は「もとどおり」、活は「よみがえる」の意味です。等活地獄の罪人は手の爪がみな鉄でできていて、罪人どうし互いに傷つけ合っている。それだけですでに血肉はみなはがれ、骨だけになっているような様なのに、それに加えて鬼がいて、鉄の棒で頭のてっぺんから足の先まで打ち衝く。ばらばらの砂くれにされるそうです。あるいは、料理人が魚をさばくように、鋭い刀でずたずたに切り裂かれることもある。ところがときに涼しい風がさーっと吹くことがあって、その風に当たるとみんな「もとどおりよみがえり」、また互いに傷つけ合う、鬼に追いかけられる……。
*比叡山横川の恵心院に住したので恵心僧都と称する。大和国(現在の奈良県)当麻の生れ。父は卜部正親、母は清原氏。九歳で比叡山に登り良源に師事し、天台教学を究めたが、名声を嫌い横川に隠棲された。寛和元年(985)四十四歳の時に『往生要集』三巻を著し、末代の凡夫のために穢土を厭離して阿弥陀仏の浄土を欣求すべきことを勧められた。著書は七十余部百五十巻といわれるが、浄土教関係では『往生要集』のほかに『勧心略要集』『阿弥陀経略記』『横川法語』(伝)等がある。七高僧の第六祖。
地獄が地獄であるゆえんは、地獄では死ねないことにあるのです。
心配しなくても、骨だけにされるころにはとっくに死んでます。痛みなど感じようがありません。生身の身体が問題であるのならば。ところが砂くれにされてなお、ずたずたに切り裂かれてなお苦しんでいる自分をリアルに想像してしまうとすれば、それは自分に対するとらわれ、我執が作り上げているわたしだからです。我執のわたしが死んでくれない。
地獄は絵空事ではありません。たとえ身は空調の効いた部屋で過ごしおいしいものを食べているにしても、あれが思い残しこれがやり残し、あれが悔しいこれが恨みと死にきれない思いを抱えている限り、そこがすでに地獄です。昔から言われるように、地獄とは自分で造りあげ自分からすすんで住みついているところなのです。
西洋近代的な自我観においても仏教的な業観に照らしても、どうやらほとんどの日本人は死ねそうにありません。生きているとはどういうことかと聞かれたら、案外、死ぬに死にきれないというだけのことかもしれない。それに対していのちのおしえは何を示してくれるか。それには項をあらためましょう。
穴
いのちのおしえから見たとき、わたしは穴です。
共感の項で、上野創氏の「自分とはドーナツの穴みたいなもの」という言葉を紹介しました。それはそれで素敵な言葉なのですが、ドーナツにはまだ身があります。ここで言う穴は、穴を形作っている実体すらなくて、穴そのものです。そこにあるのは流れだけなのです。
身近な例で言うと、たとえば雲は穴です。空を覆い尽くすような曇り空の雲では考えにくいので、青空にぽっかり浮かんでいる雲を考えてみてください。もし時間があってずっと見つめているなら、あるいは微速度撮影をして早送りをしたら、雲には輪郭線が引けないことを知らされます。一番わかりやすくてしかも不思議なのが、上空に風があるのにあまり動かないように見える雲です。風下側はどんどんちぎれていって細い筋に残るのもつかの間、みるみる消えていきます。ところが反対の風上側で、次々と生れてくると言うか、ぶわっといきなりかなりの大きさの塊が現れて、そのまま雲の本体(?)へ押し込まれて紛れてしまう。場合によってはもこもこもこっと、風上側に雲が進んでいるように見えるときさえあります。
わたしの目に雲と映るのは、小さな小さな水(あるいは氷)の粒々たちです。それが光を反射して、ときに白く、場合によって黒く、見える。雲そのものに本来色はありません。元が水なのですから。条件が整えば赤くだってなるにしても。
雲の見えるところに実際にあるのは、湿度の高い空気の流れです。気温が下がるなど何かの原因で抱え込める水蒸気量を超えてしまうと、過剰の水分が凝結して水滴になる。身も蓋もない言い方をしてしまうならば、雲のあるところに起っている物理現象はそれだけのことです。
ちなみに、雲を作るのは思うよりも簡単で、一番やさしいのはくしゃみをこらえてクッと口の中だけですることです。肺の中の湿度の高い空気が一気に膨張して気温が下がるため凝結しており、そのあとそっと口を開いてはぁーっと吐くと、真夏でも冬の寒いときに吐く息のように白く見えます。(ですから、ほんとうは寒い日に息をするのがもっとも簡単な雲の作り方なのですが、それで雲が作れたとも言いにくいので。)
雲をただ雲と見て片付けてしまうのではなく、ほんとうにそこで起こっている出来事を見つめてみるならば、雲に見えるのは見かけの姿、そこに現にあるのは空気の流れだけです。雲を形作っている小さな水滴たちでさえ、次々と生れては空気の流れに添って目まぐるしく動きつつ端から消えていっている。動的な平衡として仮に現れている
そのような見方によると、実はわたしたちの身体も穴です。口からお尻まで穴が開いているという意味ではなくて、生命の項で簡単に触れたように、身体そのものが物質の流れなのですから。少し長文になりますが、*福岡伸一氏の記述を引用してみましょう。
* 講談社現代新書1891、『生物と無生物のあいだ』pp.152-154,155-156
遠浅の海辺。砂浜が緩やかな弓形に広がる。海を渡ってくる風が強い。空が海に溶け、海が陸地に接する場所には、生命の謎を解く何らかの破片が散逸しているような気がする。だから私たちの夢想もしばしばここからたゆたい、ここへ還る。
ちょうど波が寄せてはかえす接線ぎりぎりの位置に、砂で作られた、緻密な構造を持つその城はある。ときに波は、深く掌を伸ばして城壁の足元に達し、石組みを模した砂粒を奪い去る。吹きつける海風は、城の望楼の表面の乾いた砂を、薄く、しかし絶え間なく削り取っていく。ところが奇妙なことに、時間が経過しても城は姿を変えてはいない。同じ形を保ったままじっとそこにある。いや、正確にいえば、姿を変えていないように見えるだけなのだ。
砂の城がその形を保っていることには理由がある。目には見えない小さな海の精霊たちが、たゆまずそして休むことなく、削れた壁に新しい砂を積み、開いた穴を埋め、崩れた場所を直しているのである。それだけではない。海の精霊たちは、むしろ波や風の先回りをして、崩れそうな場所をあえて壊し、修復と補強を率先して行っている。それゆえに、数時間後、砂の城は同じ形を保ったままそこにある。おそらく何日かあとでもなお城はここに存在していることだろう。
しかし、重要なことがある。今、この城の内部には、数日前、同じ城を形作っていた砂粒はたった一つとして留まっていないという事実である。かつてそこに積まれていた砂粒はすべて波と風が奪い去って海と地にもどし、現在、この城を形作っている砂粒は新たにここに盛られたものである。つまり砂粒はすっかり入れ替わっている。そして砂粒の流れは今も動き続けている。にもかかわらず楼閣は確かに存在している。つまり、ここにあるのは実体としての城ではなく、流れが作り出した『効果』としてそこにあるように見えているだけの動的な
さらにいえば、砂の城を絶え間なく分解し同時に再構成している海の聖霊たちでさえ、自らそのことに気づいていないにもかかわらず、彼らもまた砂粒から作られている。そしてあらゆる瞬間に、何人かが元の砂粒に還り、何人かが砂粒から新たに生み出されている。聖霊たちは砂の城の番人ではなく、その一部なのだ。
むろん、これは比喩である。しかし、砂粒を、自然界を大循環する水素、炭素、酸素、窒素などの主要元素と読みかえさえすれば、そして海の聖霊を、生体反応をつかさどる酵素や基質に置き換えさえすれば、砂の城は生命というもののありようを正確に記述していることになる。生命とは要素が集合してできた構成物ではなく、要素の流れがもたらすところの効果なのである。
(中略)
砂浜に打ち寄せるある波が、たまたまその一回だけに限って、砂粒の代わりにコーラルピンクのサンゴの微粒子を運んできたとしよう。海の聖霊たちは砂粒とサンゴの粒を区別することなく、そのサンゴ粒を使って砂の城を補修する。削れた壁、開いた穴、崩れた場所に、砂の代わりにサンゴを詰める。するとそこには何が見えることになるだろうか。
砂の城はこのとき、ちょうどダルメシアン犬のように、砂地の各所にサンゴ色のスポットがちりばめられた斑点模様を呈するだろう。しかしこのとき私たちが目を凝らして見るべきものは模様そのものではなく、模様が流れる様子とその速度なのだ。
サンゴの微粒子を運んできた波は、次の回からは普段どおり、普通のくすんだ砂を波打ち際に運ぶ。海の聖霊たちは黙々と自分たちの作業を続ける。削れた壁、開いた穴、崩れた場所に砂を盛る。するとサンゴの粒でできたピンク色の斑点はしばらくの間、その場所に留まったものの、やがては後から来る砂粒にその場を譲ることになる。つまりサンゴが浮かび上がらせた模様は城を通り抜けて流れていき、城の一部として固定されることはない。
そしてこのことはサンゴの粒にだけ当てはまることではなく、すべての砂粒ひとつひとつにいえることでもある。砂粒はある瞬間、城のいずれかの一部でありつつ、次の瞬間には城から流れ去り、後から来た砂粒がその場所を襲う。サンゴの粒は、ちょうど澄みすぎて流れが見えづらい渓流にインクを垂らしたかのように、その流れと速度を可視化したのである。
穴とは、結局縁起・無自性・空であるものごとの別の見方にすぎません。ということは事実上すべてのものごとを、必要であれば穴と見ることができます。
いのちのおしえに照らされたわたしは、大悲のいのちに対する穴なのです。
死
しかし穴だけではやはり言葉足らずでしょうから、違う角度から補足しましょう。そもそも死とは何なのでしょうか。
恐怖、おぞましいもの、考えるだけでもイヤなもの等々、心情的なことはそれなりに言えますが、「わたし自身の死」というのは意外に考えにくいものです。
第一に、わたしたちが直接目にすることができるのは、死そのものではなくて他者の死体です。血だまりができている事故現場などでは動物的・本能的な反応の方が勝ちますから、静かに横たわっている遺体で考えましょう。あるいは、火葬が済んで収骨にかかるときの遺骨でも構いません。そこにわたしたちは何を見ているのか。
わたしは住職ですので、一般の方よりは遺体と接する機会が多いと思いますが、気持ち悪さ、
それは現実世界にはもう触れていなくて、消滅変化から切り離され、その分かえってゆるぎないもの、完結したものとして厳然としています。死に伴う厳かさの一端は、案外そこから来るのかもしれません。
他者の死と言いつつ、わたしたちは実は自分と縁のない人の死からはほとんど何も感じていません。テレビで事故や災害のニュースを見ても、そのとき関心を引かれているだけで、自分の用事に取りかかればすぐに忘れてしまいます。知らない人ではなくても、お義理で顔を出す葬儀なら弔問が済めばそれできりがつきます。それに引き比べたとき、自分にとってかけがえのない人の死は、そんなに簡単に割り切ることのできないものを突きつけてきます。
あるご婦人は、ほんとうに仲の良かったご主人をクモ膜下出血で急に亡くされ、しばらくはほとんど半狂乱でした。三回忌を迎え少し落ち着いてこられた頃にやっと、「心に穴があいたみたいです」とおっしゃっていました。大切な人に先立たれたときに味わわされる身を切られるようなつらさ、空しさ、無力感、あるいは後ろめたさや罪悪感などはいったい何なのだろう。
わたしはそれを、ほかならぬ自分自身の生のおぼつかなさ、不確かさ、
それでもなお、そこで直面しているのは自分の生の不確かさであって、わたしの死ではありません。
死を考えるのは、おそらく人間のみです。象や猫が自分の死を予見し、人目につかないところで死ぬという話があります。そこに人間的な思いを投影することはいくらでもできますが、人間が死を考え、場合によっては恐怖するというのとは違う出来事でしょう。あるいは日本猿が死んでしまったわが子を離さず、ミイラになるまで抱え歩くことがあるという話も聞きます。しかしいつかある時死んでいると気づき、気づくとまるでごみのようにポンと棄ててしまって、その後は見向きもしないそうです。
数万年前、仲間の猿が死んでしまったとき、弔いをした猿がいたそうです。化石で見つかった骨の周囲に不自然にたくさんの花粉があったことから、遺体に花を手向けたのだろうと解釈されているのです。そのお猿さんの末裔が、今人間と呼ばれています。
死とは、生の外です。
人間のみが死を考えるとは、人間は「生きているということの意味」を考えざるを得ないものだということです。
死が怖がられるのは、死が生の無根拠さをあぶり出してしまうからです。つまりほんとうにわけがわからず恐ろしいのは、生きているということの方です。死を虚無のようにイメージして恐れている人があるなら、その人はみずからの生の底に虚無を見ているのでしょう。
いのちのおしえに照らしてわたしは穴だと気づかされたとき、わたしはすでに外、というよりはわたしではあり得ない他と、出会っています。しかもその「他」は虚無でも冷たいものでもなく、大悲のいのちの流れが、まさにこのわたしの
いのちのおしえと言えども、自業自得の圏外に立脚しているわけではありません。しかしわたしの業の水滴たちは誓願力たる大悲の流れの大業の前にあまりに無力で、後を引くのもつかの間、あっけなく消え果てます。そして雲を形づくる水滴たちがすべて消えてしまった暁には、本願の青空のみが広がっている次第です。
生きていない人たち
ほとんど最初、苦の項の中で、現実には生きていない人が少なくないと言いました。どういうことでしょうか。
子どもたち相手にいのちの話をするとき、みんなの前へ出て行っておじぎがすんだ直後、自己紹介も前置きも何もなくいきなり「今、生きてる人!」と問いかけてみることがあります。うまくいくと、え? と一呼吸あったあと、うわ~っとみんな手を挙げてくれます。「よかった。みんな生きてた」と受けて、「じゃあ、今、ちゃんと生きてる人?」と続けると、けっこう凍りつく子がいます。中学校二年生以上に顕著です。正直なところ、子どもたちが相手であればそこで何かにひっかかってもらえればもう十分で、それ以上何を話す必要もないのですが。
最近では味をしめて、大人相手にも使ってみることがあります。ただ冒頭いきなりというのは無理で、何かで子どもたちのことに触れたついでに、少し子ども気分に戻ってみます? といった前振りをした後でです。ただ、深く考えず同じように運んでしまって、ものすごく後悔したことが一度あります。今ちゃんと生きている人という問いかけに、通常であればあちこちで少し笑い声が起き、苦笑いしながら首をかしげる人、真剣に考え込む人、乗りのよさで手を挙げてくださる人、適当にばらついてそのまま本題に入っていけるのですが、ほぼ全員がキッとまじめな顔をして手を挙げてくださった。ある事情で、常に頑張っていなくてはならない人たちの研修会だったのです。その強ばりを少しでもほぐしてあげたかったのに、逆に検定をしているかのようになってしまいました。
まじめに考えると、ちゃんと生きているかという問いに答えるのはむつかしい。何より、「生きている」ということが実にあいまいな出来事だからです。
ふつうの大人が「生きている」と思っているのは、ほぼ百パーセント、「生活している」の意味です。試しに、一番最近感動したのはいつか考えてみてください。すでに一般的ないのちの三側面として生命・共感・感動を見てきていますが、感動(それも、ほんとうは人間ドラマ的なものは除外した、暖かい孤独にふるえるような歓び)が入っていないならばそれはただの生活です。
(日本語では「いのち」と「生活」が別の語なのでまだ区別できますが、英語ではどちらも life ですからよけいこのあたりはわかりにくくなります。ただ、存在 being, existence は感覚的に常にくっきりしているので、いのちと生活はごっちゃですむのかも知れません。)
生きているという出来事があいまいになってしまう大きな理由のひとつが、いつ生き始めたかがはっきりしないことです。
そんなことはない、自分の誕生日はちゃんと知っている、などという話ではありません。法律的にさえ、頭が見えたときが誕生なのか、それとも身体が全部出たときかが問題になる場合があります。あなたは自分の正確な誕生時刻を知っていますか? それに、じゃあ、まだお腹の中にいたときは生きていなかったのでしょうか。というより、そういう方向へ考えても仕方がないことでしょう。静かにふり返ってみるとして、わたしたちに言えることは「気がついてみたら生きていた」ということだけなのではないか。それ以来、ただわけもわからず生きているのです。
そして、いつ生き終るのかもわたしたちは知らない。始まりも終わりもわからないままに(それを闇と言います)、目の前のその日暮らしにあくせくしている。それを「生きている」と呼ぶのなら、まさに迷いそのものとしか言えないでしょう。
さらにやっかいなことに、「わたし」という代物は生き始めたら最後簡単に死んでくれないのでした。最悪、生きているとは、闇の中死ぬに死にきれずにいるというだけのことになってしまいます。
いきなり死に飛ばないとしても、老いが追いかけてくる。もし老いるのがいやなら簡単な方法があります。生きるのをやめてしまえばいいのです。生きるというのと老いるというのは同じことなので、老いずに生きることはできません。子どもが十円玉をにぎって画用紙を買いに行ったそうです。ところが画用紙一枚二十円。困った子どもが、「おじちゃん、樸、表しかいらないから、表だけ十円でちょうだい」。その子と同じ無理を言っていては、ちゃんとした大人とさえ言えそうにありません。
生きているということをほんとうにつかもうと思うなら、死を直視するのが早道で、おそらく唯一の方法です。それはもう見てきました。
ここで一旦まとめましょう。感動を忘れた人。老いを受け入れられない人。死を直視したことがない人。これらが生きていない人たちです。ただ、子どもたちは別枠です。みんなと言えないのが悲しいのですが、ほとんどの子どもたちは生きている。それは次の項に回して、もう一押し生きていない人たちのことを追いかけます。
いのちに一番遠いものがことばです。
ことばも、真正のことばのおしえ(一神教)であれば救済の中に位置づけられますが、根源の神から切り離されたことばは、言うならばあたまの産物です。あたまの暴走がいのちを見失っているという大きな枠組みで、これまでの話を進めてきました。
ただ、いのちが無条件に善きものなのではなくて、いのちのおしえ(仏教)に触れた上でなければ、わだかまったこころと大差なくなります。わだかまるこころと先走るあたまとのけんかでは茶番ですし不毛です。というより、いのちのおしえからそこに届いていないただの狭いいのちを眺めれば、あたまの勝手とほとんど違いは見えません。結局、小さいわたし(近代的自我|我執)に閉じてしまっている姿すべてが、いのちに逆らい、のびのびとは生きていない人ということになります。
あらためて、いのちとは流れでありはたらきなのです。
たとえば、こうするのが正しい(ほかは間違いだ)とふりかざす人があります。いかにもことば的です。真のことばのおしえであれば正しいのは一・神のみ、それをそのまま人間が知ることはできないはずで、人間には深い祈りしか残されていません。にもかかわらず「これが正しい」と主張するものは、スケールに大小こそあれ、すべて独善です。湾岸戦争も欧米諸国の独善なら、税制改革もどこかの団体の独善です。原発反対ですら、それが正しいとして主張するならば、生活者の独善です。
ただ、「独善だから間違いだ」ととらえると、ひっくり返った独善で、おなじ土俵です。いのちの観点からする限り、完全に正しいものもなければ、百パーセント間違っているものもありません。推進するにしても反対するにしても、「自分は正しい側にいる」とみずからを免罪してしまうならばすでに独善で、なにかを否定していることになる痛みを常に心得ていないと簡単にいのちを見失います。
あるいは、間違ったらだめだ、失敗したら損だと思い込んでいる人があります。極論すれば、いのちはいのちと現れた時点で、すでに失敗しているのです。失敗を離れてきれいでいられるものがあるとすればそれはことばだけで、動き、変化は矛盾を抱えたものである以上、潜在的な失敗を離れたいのちはありません。
正しさに縛られている人。失敗の許せない人。それらもまた、生きていない人たちです。
今
死の解決とは今の解決です。
「今」というと、ずーっと伸びている直線のような時間の、あるところから後ろは過去、そこより前は未来で、過去と未来とを区切る一点のように考えている人が多いだろうと思います。確かにそういう風に見える面もあります。しかしそれは、外から眺めた今、あるいは頭にとっての今です。
身体にとっての今、わたしが生きている今は、点、瞬間などではありません。
わたしは草引きが好きなのですが、うまく入っていけて心地よく作業できるときと、どこか噛み合わなくて上滑りをしてしまうときとがあります。午前中にここまでやっておこうといった変な計算が入るとちぐはぐになることが多い。取りかかる前、今日一日でこれくらいだろうなといった値踏みのようなことはいつもしているにしても、取りかかったら気持ちが届く範囲だけしか見ないでいると楽です。その「気持ちが届く範囲」の取り方が適切だと、しなければならないことを片付けていくというより、たとえば懐中電灯で照らされた丸い広がりのようなものがゆっくりと地面をなめていって、後ろをふり返ってみたら勝手にきれいになっていたという風に仕事が終っています。
あの丸い広がり、広すぎると蒸発してどんどん薄くなってしまうし、狭すぎると周囲とうまく重ならず煮詰まって息苦しくなるのに、状況にしっとり馴染んでぶれないでいられるちょうどいい広がり、あれが、身体にとっての今です。
そんな今に上手に入り込めると、その今の方がわたしの置かれている状況の中をゆったりと動いていき、ふり返ってみれば充実した流れになっている。そんな風に過ごせた日はしあわせです。
そしてそこから考えてみると、明日はみんな今の中にあるのです。明日だけでなく昨日も、実は今の中にあります。外から眺めているわけではない以上、わたしの今とつながっていない昨日はないからです。これまで触れてきたご縁がすべて重なり花開いた果として、わたしを包む今がここにある。わたしと切り離されてはるかかなたへ行ってしまった過去などありません。わたしの過去はすべて今の中に取り込まれている。同様に、今のこの広がりが熟していった先で新しい今になるだけで、火星の向こうのような未来などもないのです。わたしたちはいつも今を生きており、今以外を生きたことも生きることもありません。
結局、今だけしかないのです。今だけで十分なのです。
死という外にきちんと照らされたとき、わたしの全生涯が、どこにももやもやとしてあいまいなところなど残さず、瞬間などではない一つの今になります。それが、死の解決は今の解決だということです。もっと踏み込むならば、死の解決は今の仕上がりだと言ってよいかもしれません。
しかも、いのちのおしえ、特に親鸞聖人の仏教において、わたしたちが照らされるのは冷たい外ではなくてわたし目がけてはたらきかける他です。他にはたらきかけられて仕上げられたわたしの今は、穴になります。それがわたしのいのちのすがた、信心なのです。
ところで、子どもたちは原則として生きています。彼らはまだ不完全で、底に穴が開いたままだからです。
わたしは、「思春期が終った朝」のことをはっきり覚えています。個人差はあるでしょうが、わたしの場合は二十二歳でした。下宿の四畳半である朝目が覚めたら、それまでと部屋の感じが違うのです。いぶかしく思いながら起き上がってみると、自分の身体も変にすっきりしてその分よそよそしい。何が起こったのかわけがわからなくてそのままよく歩いた散歩コースに出かけてみたら、景色が平板になってお行儀よくじっとしているのです。ゴッホの絵のようにあるいはサルトルの『嘔吐』のように、向こうからはたらきかけてくることもなければこちらからにじみ出してからみ合うこともない。半日歩き回ってやっとわかりました。そうか、わたしは大人になったんだ――
嵐が過ぎ去った安堵感といっしょに、何とも言えないさみしさを覚えました。嬉しくはなかった。子どもたちはみんな、さんざんもがこうともただ寝ているだけだろうと、いつか大人になります。しかしそれまでは穴が開いていて、否応なく生かされ、やみくもに生きてています。大人になってしまうと感動は日々縁遠くなりますが、青春時代、嬉しい方向ばかりとは限らずぬかるみにはまるかのように落ち込むことも含めて、三日も感動することがないなどということはあり得ないでしょう。わくわく・どきどき・おろおろくらいだったら、毎日どころか毎時間です。何しろ「箸が転がっても可笑しい」時代なのですから。
いつまでも子どものままでいることはできません。大人になって一度死んで、それからあらためて生きることに出会い直すしかない。ですから思春期、努力しなくても生きていられるというのは貴重な時期です。ただ、生きていること自体は苦しいことであり、隙だらけですから、人的・自然的両方の意味で周囲の環境が大切です。傷ついてもうずくまっていられる暖かい隅っこ、力に任せて飛び出していける広がり、どちらも不可欠でしょう。
子どもたちは本来生きているしかないはずなのに、みんながみんなそうではないのは、社会の、というより端的に大人の側の問題です。度を超した正しいか正しくないかの評価、失敗への不寛容、あるいは無駄の排除、そんなものに囲まれて子どもしているのはむつかしい。あいまいなものがあいまいなままで許される場、おびえながらカタツムリがそ~っと角を伸ばしても柔らかく無防備でいられる湿った空気、それがなければ安心して子どもでいられるのは一握りのエリートだけになってしまいます。
まわりの大人が首を絞めて窒息させてしまっていない限り、子どもたちはみんな今のまっただ中で生きています。「明日はすべて今の中にある」というのは、ほとんど説明する必要なく子どもたちには通じます。「昨日も実は今の中にある」は少し説明が必要になりますが、「昨日の失敗はもう取り返しようがないけれど、いくらでも受けとめ直せる」とガス抜きをした後で、「そもそもそんな風に後悔しているのは今だ」と押さえるとまず大丈夫です。もしまだ心許ないときには、「昨日の給食何だった?」と聞いてみます。たまたま覚えている子もいますが、まず八・九割方は忘れています。そのときの用さえ済んでそれ以上どうでもよいことは、覚えていないのです。昔のことを後悔からにしても喜びからにしても覚えているとすれば、それは今の中に届いているからです。
さらに、今の広がりに関して、こんな話をすることもあります。
最初、「まともにわかる話じゃないから、ウソでもいいからわかった気になって聞いてごらん。わかった気になって聞いていたら、かならずわかった気になれるし、わかった気になれたら楽しいよ」と説明にも何にもならないことを伝えておいて、話す内容は以下の通りです。
地球に一番近い銀河宇宙はアンドロメダ座の大星雲で、二百万光年離れている。もし光の速さで飛ぶロケット(物理的にそんなものはありませんが)に乗って飛んでいったとすれば二百万年かかる。しかし、「もしあなたが光だったら」――地球とアンドロメダ座大星雲とは同時なんだよ。
「わかった気になった人!」と聞いて、一回目で手を挙げてくれる子は、まあいません。だれかが手を挙げてくれるまで、繰り返します。「わかるのは無理だって。わかった気になるんだよ」。(ある小学校で、いきなり一回目で校長先生が一人勢いよく手を挙げてくださったことがあります。これにはわたしの方がびっくりしましたが、その校長先生が「え、わからないの、こんなに楽しいのに」という顔で児童たちの方を振り向かれるのに合わせ、ばらばらと手が上がり始めました。楽しい学校でした。あとは校長先生に任せておけばいいので、もうわたしの出番はありません。)
そんなはたらきかけをしていると、「今は明日で、未来で、全宇宙なのだとわかった(中学校三年生男子)」という感想を書いてくれる子も出てきます。
わたしもすでに大人で、その立場からいのちのおしえ的に考えると、「あなたが光だったら」というのは「わたしが阿弥陀仏だったら」というのと同等か、そうでなければ華厳の世界ですから実は少し引いてしまいます。
が、それすら阿弥陀仏にまかせてしまえばいいのでしょうね。いずれにせよわたしの現実に生きている今とはそういうもので、そんな今に寄り添えたら、死はむしろ友達で、怖がっていたのが申し訳ないくらいです。
あきらめる
現代人は、あきらめるのが下手になっています。
ハワイで、日系三世たちが、風化してしまう前に自分たちのおじいちゃん・おばあちゃんの世代の記録を残しておこうと立ち上がったそうです。事業のメインに、耳に残る祖父・祖母の言葉を集めてモニュメントを作ろうということになりました。集まった言葉の中に「しかたない」というのがあって、これを採用するかどうか大議論になった。一般的な語感としては弱気で否定的ですから、新天地を開拓していった人たちの記録としてはそぐいません。しかしそれを口にして踏ん張った後ろ姿を見て知っている孫にとって、ただ弱気というのでは片付かない、挫折して挫折して挫折してなお踏みとどまったときに口にされた「しかたない」という言葉の響きは、残しておきたいということになったと聞きました。
「あきらめる」の通常の用例を確認しようと思って辞書をひいてみたら、どの辞書にも「断念する、思い切る」とあって、その積極的な響きに少し驚きました。漠然と考えていた「無気力になる、投げやりになる」といった語感とは随分違います。「気落ちするな」という思いで「あきらめるな」と声をかけるのなら現実的には意味のある場面もあると思っていたのですが、もし辞書どおり「断念するな」という意味なら、「しがみつけ」と言っているわけですからめったな場面では使えません。
通常の感覚では、あきらめるの反意語はがんばるでしょう。がんばることの放棄に聞こえるから、あきらめるのを嫌う。そういうことだろうと思います。しかし、あきらめるとはより大きな効果を生むための態度なのです。断念するというのも、固執していたある考えを捨て、別の見方を受け入れるというのがもともとの意味であるはずです。
さらに元をたどるならば、あきらめるとは諦めるで、「全体を見通して真相をつまびらかに見通す」という意味です。そうすると小さく我を張ることはマイナスになる。こだわりを捨てて大局を生かすのが、あきらめるの極意です。
わたしは、あきらめるという言葉の誤用を歎いて、正しい意味に帰ろうなどと言っているのではありません。たくさんの人に使われる中で浮かび上がってくるのが言葉の意味ですから、時代によって変遷して当然です。逆に、あきらめるという言葉が本来担っていた知恵を失い、事実上無気力になるというのと同等な響きを持つようになったことそのことに、現代人の窮屈さを知らされます。
現代という時代を生きるわたしたちは、常に我を見失わないようにしていないと不安なようです。頑張る、我意を張り通すことが讃えられるゆえんです。頑張るのをやめてしまったらひょっとしたら消えてしまうかもしれないような我でしかないとすれば、何ともさみしいことです。
一昔前の学校は、子どもたちの側から見た場合、時間をかけてあきらめていく場だったのではなかろうかと思います。だれもが村長さんになるわけではなく、だれもが学者さんになる必要もない。同様に芸人さんもときどき出てくれば十分でしょう。一方に自分の夢、他方に自分の素質、さらに親の仕事や経済力といった環境もからむ中、みんな時間をかけて自分に見合う場所を見つけ出しそこへ落ち着いていった。みんなそれぞれに居場所があった。そんなきれい事だけだったとは言いませんが、単に学力や主体性・協調性といった子どもたち一人一人の能力だけでなく、もっと大きな、事実上大人社会の縮図のようなある全体が機能していたように思います。
というか、今でもやはり学校は大人社会の縮図で、正直に大人社会の問題を反映しているからちぐはぐなのでしょうか。
あきらめるのが下手とは、逆に言うならば自分以外のものに信頼することができなくなっているということです。過保護な親が増えているのは、わが子すら信頼してまかせることのできない偏狭さが強くなってきていることであり、少しでも自分の思いと違うものはもう受け入れられないこころの硬直が進んできているということです。
思いどおりにしたいからあきらめられない。あきらめられないから信頼できない。信頼できないから他と出会えない。しまいにはとうとう自分以外の他が怖くなる。他が怖いから自分にしがみつく……。みごとな苦の増幅になっています。一度渦巻き始めた我執は、出口を見失って育つ一方です。
法話で、お手洗いを取り上げることがあります。いろんな話があるのですが、「お手洗いではいったい何をするか」という話を紹介しましょう。お手洗いでは何をするか。そりゃあ、用を足すのに決まっています。なぜお手洗いに行かなければならないか。用を足して楽になりたいからです。その、楽になるために、どれだけの苦労があるか。いや、こらえていなければならないから苦しいので、お手洗いでこらえているのをほどきさえしたらこらえていたものは勝手に出ていってくれて、楽になれます。
楽になろうとがんばってこちらから楽をつかむのではなくて、こらえてしがみつくのをやめさえしたら、むこうから勝手にほっこりと楽な心地が入ってきてくれるのです。楽になったときは開いている。開いているから流れている。楽になれないのはこらえて閉じているからです。
あきらめたら、ただ情けない自分に突き戻されるだけではありません。そういう面もあるのでなかなかあきらめられないのですが、いざほんとうにあきらめてみたら、かならずそれまで蓋をしていて気づかなかったいろんな思いに気づかされ、場合によっては思いがけない別の流れに出会えることもあります。そして間違いなく、どこかで楽になっています。あきらめるとはまかせることであり、開かれることなのです。生きるから生かされるへの転換です。
何ごとも、思いどおりにはなりません。しかし思いどおりにしようとするのをあきらめたら、レット・イット・ビー、ケ・セラ・セラ、なるようになります。ままにならぬと
そしてきちんとあきらめられたら、ほんとうにしなくてはならないことも見えてくるものです。