生きてますか ――あなたのいのちを生きよう――

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「生きている」のは当たり前のように思いますが、ほんとうにそうなのでしょうか。今日はそれを振り返ってみましょう。

そもそも、ふつうに使っている「いのち」という言葉さえ、少し考えてみるとわからなくなります。

たとえば。いのちに一番大切なものって、何でしょうか。食べもの? 思いやり? それとも希望?

どれを選んでもらっても正解です。逆に言うと、どれも大切なのです。つまり、いのちとはシンプルなものではなくて、いろんな側面があるのですね。

食べものが一番大切な側面は、「生きているいのち」、あるいは生物的ないのちです。同様に、思いやりが大切なのは「つながるいのち」、社会的ないのちで、希望が関わるのは「よろこぶいのち」、宗教的ないのちです。

いのちと一言で言っているけれど、実はいろんな拡がり方をしている。それをついつい「この身体の中にある、自分の持ち物」のように錯覚していることが、いろんな問題を生んでいるのではないでしょうか。

社会的ないのち、つながるいのちは、人と人との「間」にあります。宗教的ないのち、よろこぶいのちは、全宇宙と同じ大きさなのですよ。そんなことも想像してみると、自分のことが愛おしくなってくるでしょう?

さて、話が変って、少し「死」のことも考えてみましょう。いきなりだけど、死んだら何もかもおしまいなのかな。というより、死んだらどうなるのでしょうか。

いろんな考え方があると思いますが、私は、死んだら「おおきないのちへ還っていく」のだと考えています。死ぬことは、実はそんなに恐ろしいことではない。

ほんとうは、「死ねない」ことの方が恐ろしいのですよ。みなさんは地獄の話を聞いたことがありますか? 地獄って、死ねないところなんです。

みんなも、ひょっとしたらこれからつらいことに出会って、「死んじゃおうかな」とか思うことがあるかも知れないけれど、簡単に自殺なんかしないように。それで死ねるほど、それで問題が消えてしまうほど、話は簡単ではありません。生きて、ちゃんと向き合って、解決していくしかない。おしっこに行きたくなって、だれかに代わって行ってもらうことってできませんよね? 自分でトイレに行って、自分で用を済ますしかないのです。

最後、自分、この私って何なのか、少し考えてみましょう。

みんなは、もし自分ががんになったら、告知して欲しいですか? 反対に、だれか大切な人ががんになったとして、その人にちゃんと伝えたいと思いますか?

自分ではない人ががんになったとしても、それは「人ごと」なんですね。自分のことじゃない。だから、「かわいそう」とか思う。でも、自分ががんになったとしたら、かわいそうなどと言っている暇はありません。

自分って、全宇宙にたった一人です。もっと背が高かったらとかもっと美人だったらとか、いろいろ思うことがあるかも知れないけれど、今のあなたのまんまで、全宇宙にたった一人なんですよ。がんになったとしても同じ。がんになってしまったことも込みで、あなたはかけがえのないあなたなのです。

だから、そんなかけがえのないあなた自身のいのちを、楽しく、生きよう。

楽しむって、言い訳をしなくてもよくなることなんです。自分のそのままを受け容れ、喜んだり悲しんだり、つらい思いをしたり、それがそのままに、とんでもなく素晴らしい、楽しいことなんです。

遊雲は、いつも楽しんで生きていました。楽しんで生きた方が楽しい。

宇宙の真ん中で、かけがえのないこのいのちを、楽しく、生きていこう。それができるようになったとき、ほんとうに生きていると言えるのでしょう。

文頭

2008年6月、鹿野小中学校合同教育講演会で話した内容の要約です。