青葉 (5月3日)
青葉の季節です。一気に初夏になりました。
このあたりでは、青葉で一番目立つのは柿です。しかし柿の青葉は単調で、どれも同じ色をしています。
今となっては大昔、学生時代を東京で過ごしたのですが、「武蔵野の森」の新緑は圧巻でした。木ごとに新芽の色が違い、遠目には森や山の全体が入道雲になったかのようで、日差しの明るい日にはもこもこと動き出してしまいそうでした。
しかし、単調だろうとそれぞれ違おうと、新芽は新芽、青葉は青葉です。うぶに大胆に、耀いています。
初夏の日差しが、照らしています。
用事 (5月14日)
用事に追われています。
今年はPTAの役員が回ってきており、総会が済んで、5月からが新役員の本格始動です。6月に入ってすぐの行事への対応で、連日あっぷあっぷしています。わたしはどうもこういうことが苦手で、不必要にあたふたしているのですが。
出講も続きます。わたしは時間をかけて気持ちを作っていくたちで、月に4件くらいが事実上キャパシティの限界だと思うのですが、そう都合良くはいってくれません。いくつか並行して準備を進めなければならず、「頭を切り換える」だけでもかなりのエネルギーを使っています。
しかも、毎日タケノコが大きくなる。お茶が伸びる。草が茂る。
「忙しい」とは「心(りっしんべん)を亡くす」と書くのだ、とはよく聞く話なのですが、それを地でいっています。せめて、一日の中で一回は、ぼーっと気持ちを静める時間を取ろうと心掛けているのですが。
まあ、何ごとも、なるようになります。今は盛んに茂っている草も、冬が来れば枯れますし。
開かれた体験 (5月26日)
最近、お説教(法座で法話をさせていただくこと)が楽しくてしかたありません。
先日のご縁では、帰ってみたら、お聴聞くださったお同行様からメールが入っていました。ありがたくてすぐに返信をしたのですが、その中で、「ご法義に出会うとは、その場で、ということは今・ここで、自分を開くことと味わっています」と伝えさせていただきました。
お説教が楽しいとは、つまりそういうことです。ご法話をさせていただいているときこそ、お聴聞くださるお同行の方々に力を添えていただいて、ともに、ある開かれた体験を共有しているのでしょう。
その方からのまたのお返事に、
>遊雲くんは先生に「開かれた」体験を回向されたのではないかと存じます
と書いてくださってありました。ほんとうにその通りです。