季節 (11月3日)
長久寺の報恩講で、御絵伝(親鸞聖人の御一生を絵で表わした四幅の掛け軸)の絵解きをしました。
各場面に、松や桜、柳など、いろんな植物が配されています。描かれている場面の季節を表わしているのはもちろんですが、それを超えた意味も込められているようです。
要所要所に配置される常緑の松は、真理の偏在。そして、季節季節で姿の変わる桜や紅葉などは、ただその場面の季節だけでなく、親鸞聖人その方の御一生における季節も暗示しているに間違いありません。
そのつもりで見てみると、御絵伝の中で季節は三巡しています。御歳九歳で御出家のときが春、師法然上人の選択集を附属なされたときが秋。法然上人の元での一巡に続いて、何と、承元の法難(念仏停止が言い渡され、法然上人・親鸞聖人とも流罪に処せられる)が春でした。
このご縁を通じて、親鸞聖人は関東布教へ足を踏み出されます。それが春であるならば、その季節はこの私のための春です。聖人自利の季節が一巡し、稔りの一巡の後、利他の季節が一巡してくださってありました。
欲 (11月24日)
わたしは強欲な不満家だ。気に入るものなど何一つない。
如来はもっとどん欲だ。意にかなわぬものなど耐えてない。