空白 (10月26日)
一月以上、山寺の更新ができずにいました。
いろいろと忙しかったということもあるのですが、それ以上にどこかで気持ちが引っかかってしまって、お腹がつかえて手足が届かず動けなくなってしまった亀よろしく、身動きできずにいたのです。
自分から言葉を発し、同事にその作業を通じて考えを整理するという営みの止まっていた一ヶ月間を、自分自身では空白で無駄な時間だったように思っていました。しかし、あらためてご縁整い、やっとのことで動き出してみると、そんなことはありませんでした。
春の花の芽は、雪の下で静かにふくらんでいく。挿し木した枝も、目に見えての動きの中にではなく暖かい沈黙のうちにゆっくりと根を張っていく。
自分が意識して育つのではない、大きな育みの中で、またあらたな土壌へ根を広げさせてもらっている自らの姿に気づかされています。私の思いにかかわらず、如来のはたらきに空白など無縁でした。