暖 (11月1日)
朝晩がめっきり冷え込むようになり、昨晩は今年初めてストーブに火を入れました。
からだの暖は、皆心掛けて取ります。こころの暖も、忘れないようにしたいものです。
夕日 (11月6日)
ここのところいい天気が続き、今日も夕日がきれいでした。
沈みかけたお日様を眺めつつ、あの果てにお浄土のあることが、しみじみとありがたく思われたことです。
生きている (11月12日)
私は今、そしてこれをお読みの皆さんも皆さんの今を、生きている。
不思議ですね。
あり難いですね。生きていることが、ではなくて、生かされていることが。
煙突 (11月18日)
報恩講の準備に、餅つきをしました。
餅は餅つき機でつくのですが、餅米はかまどで火を焚いて蒸します。報恩講と新年と、うちでは年に二度しか餅つきをしないので、報恩講でかまどを使うと、たいてい煙突に小鳥が巣をかけてしまっており、最初のうちうまく燃えません。(この時期、巣が使われていることはありません。)
煙の通りをよくするための煙突に、それを塞いで、塞いでいることに気付かずに安穏としている小鳥と、大きないのちの流れを閉ざして我を張る私たちと、どっこいどっこいのようです。
冬 (11月30日)
ここのところ暖かい日が続いた中、今日の午前中は久しぶりに寒くさみしい雨でした。
雪、ではなかったものの、冬を実感しました。
しかし、冬もなくてはいけない。厳しい冬と過しやすい夏の区別がなかったならば、木の年輪もできない。この冬を、私の人生に刻みたいものです。